その昔、250ccは憧れであり、
スーパースポーツだった。
しかし、過去形にしてしまうのは悲しい。
まだまだ輝く未来はある。
そんな愛を込めて、250ccにモノ申す!
【思い出の250遍歴】
By○ S本K作
本誌でも愛車スケッチを連載するイラストレイター兼デザイナー。
バイク歴は250から始まった64歳。
僕の今の愛車、ツーリングにはまだまだ
元気なBMW・R80GS(7万km)、足は
ベスパPX200Eだ。こいつはまだ7000km。
一昨年のモデルで、5000km走行の中古車だった。
これがいい。
20年前、やはりベスパのラリー180に乗って
いた(かなりくたびれているが今もある)。
オレンジ色でやっぱり中古。オレンチ(家)
ベスパは仕事場のあった飯田橋まで、毎日
走っていた。
雨の日が楽しい。広いレッグシールド
とフロアが、水たまりも何のその。
バシャバシャ走っても靴は濡れない、
クルマにしぶきを
掛け返してやるんだと、喜々として、走った。
ちょっと不安定、慣れないと怖いところが
ある。疲れているときもコワイ。前軽く、
ちょっと拭く風にもバーッと流される。
ある日、立体交差の橋の上でパンク。これは、
もう地獄。瞬間反対車線へ斜めに飛んだ。
怖かった...! 小さなタイヤは、エア抜けも早い。
その怖さを知って以来、タイヤの減り
だけは気をつけている。
オイル混合苦にならない。ウィンカーないが、
手信号で、まだまだ元気。あるとき、北海道で
仕事があり、帰りはご自由にと言うので、
フェリーでベスパを苫小牧まで送り、青森で
一泊、翌日東京までの800km、仙台から高速
使って1日で走ってきた。走れば走るもんだと
喜々として...。止まったのは、給油3回と、
食事1回の45分。それ以外走りっぱなし。
だもんで、途中原因不明のエンスト1回。
10分冷ましただけで、元気回復。コイツ(ベスパ)
気を利かして休んだに決まってる。
人間くさいところがある。そのうえ誰に
でも好かれた、気軽な所、スペアタイヤ
のあるところ、ささやかだが冒険心を
くすぐってくれるところ。そこがいい。
新型ベスパのPXは分離給油になっていて、燃料計
とウインカーが付いて、セルまで付いた。
ついでにサイドカバーは盗難防止型に。
確かに進歩してる。けど走りは昔のまんま。
スペアタイヤもちゃんとある。
スピードは気分で感じるもので、その気に
させてくれればそれで十分【僕の場合】。そう、
うるさいやつは、ドゥカディ250マッハ1だった
(30年前)。見かけは125ぐらいしかない。
タイヤが細いので、ウチの奥さん”ネズミのしっぽ...”
という。ハンドルはクリップオンだが、決して
窮屈ではない。カラダを少し丸くすれば手が
自然と届く。無理な前傾ではないので疲れない。
信号でロー、セカンドでギーン!と引っ張る。
ころはよしと、トントントンとトップ
(5速)に入れる、そこらがオイシイ。60km/hから
トコトコトコ。。。とどこまでも伸びる。
あの軽く吹き上がったエンジンが、ロングストロークに
変身するのだ。
こいつもともとエアクリーナーがなく、エア
ファンネルだけ。いたずらしてくださいと口を
開けている、それは困るとゴルフボールを
持っていて、止めたときに放り込んだ。熱かった
エンジンが冷めて乗ると、中の気圧が
下がって(多分)。指の先では、取り出せなくなる。
そのためのかき出しフックを持っていた。
こういう独自の付き合いが、密かに楽しい。
ブレーキもなかなかいい。いつかのある日、
650の友達に食いついて離れなかったのは、
このドカの軽さゆえと思っている、バイクは軽い
のがいいと教わった。
一時ドカ・デスモ450も持っていた。同じ
単気筒でも250の味を知ってしまった僕には、450
はなじむには至らなかった。
その前には、同じくドカの250スクランブラーも
持ってた。前後フェンダーからはみ出た
タイヤがカッコよくて手に入れたが、こいつは
エンジン回してないと機嫌が悪い。ステップ、
ただの丸棒ツルツルで、細かい振動に足が
スッポと外れる、ツーリング途中にタンクが
ひび割れ、石鹸をもらって練り込み走ってきた
ことも。ピンと跳ねたシートもカッコいいし、
右に飛び出したタコメーターに、ああイタリアンと
ベタ惚れのボクは、しかし完全に片思い。
そのころ仲間うちにヤマハ DT-1が増えた、
始まったばかりの山の中の工事中の国道を、
スイスイ走る。その後ろをキーンと走る
我がドカは、ピョンピョン跳ねる。とうとう手放
そうと、スクランブラーを買ったモータース
に行った所、話は前後するがマッハ1が
あって入手。DT-1が遠くになったが、結局1年
して入手。
DT-1は素晴らしかった。山道オフロードが
うまい。と自分の腕を過信したくなるほど
気持ちよく走る。道を選ばぬとはコイツの
ことだと思った。手に入れて1年間、毎週ほとん
ど工事中道路を北にさがして、ウヒウヒに打音が出始め、
仲間が始めたトライアルにボクもコイツを改造
して使った、茶髪のタンクだけ、今も
残っている...。
その後TL125、RL250、ブルタコ・シェルパT、
TY250と続くのだが...。なんだかんだで
バイクは40台乗ってきた。うち、250は10台。
250のドリームC70(中古)で突然始まった
ボクのバイク歴は、24歳が最初、オモチャの
デザインを頼まれ、コイツにまたがったのが
運の尽き。あんなに好きだった模型飛行機作りが
パタッと止まり、バイクに入れ上げることに
なったのだからコワイ。
乗り出した1年。道は続くのだから、鉄道で
15時間もかかる帰省(三重・上野)を、
バイクにしようと決意。何かあっては困ると
新車のCS71に替え、初めて箱根を超えた。もう
リッパな旅人さんになって...。以来、西へ、
西へと帰省のたびに足を伸ばす。丈夫なコイツ
は故障知らず。が、当時の国道は砂利道
ばかり。大きなハンドル、大きな車体でないと、と、
ボクのバイク遍歴が始まったのである...。
備考:この内容は、
平成13-4-15
発行:八重洲出版
「MOTOR CICLIST」
より紹介しました。