RIMOWAのトランクケースと、ダンボール箱1つ、
それだけで、移り住んだ。
1つのカプセルホテルの大きさは、10平米、
約6畳の部屋には、たくさんは置けない。
部屋に入ると、その大部分をベッドが
占めていた。
「狭い...」。
それが、率直な感想だった。
ただ、よく見て見ると、随所に1970年代
当時からの暮らしの工夫が、なされている。
テレビ(映らまい)や、オープンリールの
テープデッキ(壊れている)が、壁に埋め込まれて
いたり、壁収納を開けるとテーブルが現れ、
作業スペースとして使うことができたり、
デッドスペースを収納として使えたりと
空間の使い方がすごくうまいのだ。
しかも、カプセルの特徴
とも言える大きな丸窓の
お陰で圧迫感は感じず、朝の陽射しが
差し込む時間には、開放感すらあった。
狭さ以外に問題があるとすれば、このカプセル、
お風呂が使えなかった。入居前にも
聞いていたが、給油管の故障で、15年くらい前から
全室お湯が出なくなったらしい。
キッチンも洗濯機置場もなかった。
足りないものが多い、だいぶミニマルな生活、
不便さを覚悟はしたが、実際には住んでみると
案外、なんともなかった...。
銀座の1等地にあるので、食べるものには
困らないし、電気ケトルを持ってきていたので
朝のコーヒーや、カップラーメンは部屋でも
作れた。シェアサイクルを使えば銭湯や
コインランドリーにも、すぐ行くことができたし、
急に必要なものがあっても、ビルの斜め向かいに
深夜まで営業している「ドンキ」もあった。
何回も、ウーバーイーツを頼んだが、倒着した
配達員が、おそるおそるビルを眺めているのが
おかしくて、そこの住人として意気揚々と
受け取りに行くのが楽しかった...。
私は、ここで暮らしていける、不便のANAは
現代のテクノロジーで補えるようだ。3日目
くらいには、中銀カプセルタワービルの生活に
順応していた。
入れ替わりが激しく、常に進化していく
銀座という街を横断しながら毎日、中銀カプセル
タワービルに帰宅する。令和と昭和の
最先端を行き来しているような、そんな刺激的な
1ヶ月を過ごした...。
翌年、中銀カプセルタワービルの解体が
決定したとのニュースがあった。建物自体の
老朽化が原因らしい。「黒川記章氏」が当時
構想していた、カプセルそのものの交換は、
コストの問題もあり、
1度も、行われることはなかった。
中銀カプセルタワービルは、新陳代謝を促されることなく
そのままの姿で、約50年の年月を経ているのだ。
住んでいたときも、年期の入ったエレベーターや
廊下、雨漏りで封鎖されている部屋を見て
うすうす気づいていた。
「このビルは、そんなに
長くないのかもしれない」と...。
けれど、あと10年くらいは、同じ場所にあり続けてくれる、
たとえ人が住めなくなっても存在し続けて
くれると、そんな風に漠然と思っていたので、
解体のニュースはショックだった。
わたしは、あの少し不便で不思議な生活が気にって
いたんだと思う。狭い部屋に友達を呼んで
ぎゅうぎゅうに、なりながらお酒を飲んだこと。
銭湯帰り、夜の銀座を、よくすっぴんで
散歩したこと。行きつけのバーができたこと。
どれも大したことないかもしれないが、
私にとっては、楽しい日々だった...。
いつか、もう一度住みたいと思っていたけれど、
それは、もう叶わない。中銀カプセルタワー
ビルを取り巻く環境も、時代とともに変化して
しまっていた...。
人間の身体の細胞は、1年もすれば、ほとんど
すべてが生まれ変わってしまうというけれど、
せめて過ごした日々や、思い出だけは、新陳代謝
することなく、そのまま大切にしまって
おきたい。
そんなことを思いながら、わずかな時間が
残された中銀カプセルタワービルを、
たまに訪れ、その姿を目に焼き付けて
おきたいと思う...。
備考:この内容は、
2022-1-26
発行:KADOKAWA
著者:SAORI
「散歩するアンドロイド」
より紹介しました。