【1】
配られたばかりの、夕刊早版を読んでいる私に、
記者クラブ付きの友田元子が、声をかけた。
「島さん、お電話です」
彼女は送受器の送話口を、手で抑えていた。
電話に出るか? という意味である。
「誰? 社から?」
「ううん。お、く、さ、ま」と、友田元子は、
いたずらっぽく笑った。彼女も、私が結婚して
1週間の休暇をとり、この日、久しぶりの勤めに
出たのだということを知っていた。いたずらっぽい
表情は、だから、新婚の私を、からかう意味を
持っている...。
「女房? 何だろう?」
私は、電話に出ることにした。妻に対して、
記者クラブには、なるたけ電話をかけないように
命じてある。深い意味はないが、同僚の揶揄を
避けたかったのだ。ところが、第1日目にして、
早くも、妻は、私の指示に背いた。
軽い舌打ちが、私の口から漏れた。
「あ、あなた?」と、遠慮がちに弘子の声が、
電話を伝わってきた。
「何だい? 急用でも、できたの?」
「ええ、少し前から、お母さんがいらっしゃっているの。
だから、今晩は、早く帰って来て...。
お願い」
妻は、心細そうな声をしていた。
「お母さんというのは、つまり、僕のお袋かい?」
「ええ、何だか、新家庭を、ご覧になりたいと
おっしゃって...」
「ふうん。しょうがねぇな。わかった。早く帰ろう...」
私は、電話を切った。
「おい」と、T社の市岡が、私に声をかけた。
「女房教育は、最初が肝心なんだぜ。早く帰って
来い、と言う電話があったからと言って、その通りに
していては、将来、身動きがとれないぞ!」
市岡と私とは、社は違うが、大学は同期であった。
彼の方は、すでに、2年前に結婚をして、
子どもも 1人ある。
「ああ。そうだろうな」
私は、弁解する気もなく、軽く受け流した。
結婚生活に関して、私は私なりの考えを
持っていた。
多少、理想主義的かもしれなかったが、
互いに理解し、尊重し合える生活というような夢だ。
男である以上、友人と付き合って、帰宅が
遅れることも、将来はあるだろうが、そういう
ときには、『仕事だ』などと、嘘をつかず、
率直に、付き合いの必要性を説けばよい。
妻は、また、
それを理解すべきだ。そんな考えを持って
いた。
そして、弘子だったら、私が率直に、友人と
酒を飲んで来た、マージャンをやってきたと
告げれば、文句を言うこともあるまいと思っている。
しかし、この日は、早く帰宅することに決めた。
公団アパートの一室で、私の母、つまり
弘子にとっては姑と、顔を突き合わせているのでは、
さぞ、気詰まりであろうと考えたからである。
それでなくとも、この日は、弘子にとって、私の
留守を守る第1日目なのだ。心細かったかもしれない...。
もともと私の父母は、弘子との結婚に
賛成ではなかった。弘子が、普通のサラリーマンの娘で、
会社勤めをしていたという、現在の
社会常識ではなんでも無いことさえ、父母には気に
いらなかったのだ。
というより、私が自分で妻を
選んだこと自体が、両親には不満であった。島家の
長男である私の妻は、島家と同等、または
それ以上の実業家の令嬢から選ぶべきだという、私に
とっては、やりきれない考えを、両親は
持っていたようだ...。
事実、私には大学在学中から、いろいろな
縁談が持ち込まれていた。曰く、☓☓製鉄会長令孫、
○○紙業専務令嬢、財団法人▲▲会会長で
元伯爵の姪。
すべてに、そんな肩書がついていた。
まったく、ばかばかしいほどであった。私は、
そういう縁談に対しては、見合い写真をさえ展げ
なかった。それには、いくつか理由がある。
第1、結婚という大事を、他人の手に
ゆだねるような女性は、自主的判断ができない女
であり、妻とするに足りない。
第2、私自身の経験から、実業家の家庭と
いうものがよくわかっていた。父は、何回も女性
問題で、母を泣かしている。日本の実業家の家庭は、
私の家と大同小異であろう。
そういう家庭に育ち、
しかも有名女子高校、女子大学に通って、
男女共学の経験もなく、さらに会社勤めをさえ
しないで、花嫁修業をしていたような深窓の
令嬢は、『男性』に対して、彼女らの父と同じだと
いうような、固定観念を持ってはいないだろうか?
これは私の考えているような結婚生活の
障害になる。
第3、私は父を見ていて、実業家が嫌いに
なっていた。だからこそ、大学を出て父の会社に
入るのをやめ、新聞記者になったのである。
そして、生活も私の給料だけで、まかなっていた。
一般企業に比べ、低い給与ベースだとは言えない
だろうが、決して高給取りではない。
私は、今後も、この方針を
貫くつもりだった。その場合、
▲▲会社重役の娘として、ぜいたくに育った
お嬢さんには、家計のきりもりができないだろうと、
考えたのだ。
毎月赤字になっても、平気で、
実家から援助してもらうようなことがあれば、
私の主義に反するのだ。(この第3の理由が、深窓の
令嬢を忌避した。最も大きな理由だろう...)
以上の考えは、私の中では、固定観念と言える
ほどの、ものになっていた。いわば、『良家の
娘嫌い』である。だから、仮に偶然の機会から、
ある女性と恋愛するようになっても、相手が
良家の娘だと知れば、結婚は
しなかったであろう...。
そして、私は、映画館で、ふと知り合ったB・G、
峯岸弘子と、約1年にわたる交際ののち、
結婚したのであった。彼女の乳は、普通のサラリーマン
であったし、彼女も会社勤めをしていた。
私の両親は、最初のうち、反対したが、ついに、
諦めたらしく、弘子の性格を褒めたり
するようにはなったが...。
備考:この内容は、
昭和56-4-15
発行:講談社
著者:佐野洋
「親しめぬ肌」
より紹介しました。