【誰かがカラダを起こす気配...】
...その「部屋」に移って、2人の
新生活が始まった。
他の住人たちの姿は、めったに
見かけなかった。隣人への入居の挨拶も
「駆け込み寺」の主人から不要だと言われ、
そのままになっていた。
昼間、働いているA子さんと、夜間の
仕事であるS美さんとは、シフトはもちろん
のこと、休みの日も、なかなか重ならなかった。
けれど、新生活から1週間ほど
経ったその日は、勤め先の都合で、たまたま
一緒に休みが取れ、2人は、初めて羽をのばした
気持ちで、東京の各所で遊ぶことができた...。
(また、明日から、頑張らなきゃ...)
夜。まだ簡易ベッドも買わず、フロー
リングの上に布団を敷いて、タオルケットを
かけて横になったA子さんは、
そう思って体を、ぐっと伸ばした。
ベランダの窓は網戸にして、夜風を
入れている。
経済的な理由で備え付けのクーラーは、
できるだけ使わないことに決めていた。
都会では、ヒートアイランド現象で、熱帯夜が
続くなどというが、地形関係か、
けっこう涼しい風が入ってくるのだ...。
隣で寝ているS美さんも体質的に、
クーラーが合わないとか。昼間、仕事のために
部屋で仮眠を取る際も、これなら
外からの風で十分しのげるなどと言って
いたのだが...。
(あれ?)
どれくらい時間が経ったろう? A子さんは、
ゾクっとする冷気に目を覚ました。
どこからか、冷たい空気が流れ
込んできている...?
(まさか、S美が、クーラーをつけたのかしら?
そんなことないわよね。だいいち、
作動音も、何も聞こえてこない...)
そのとき。
むくり
と、A子さんのそばで、誰かが体を
起こす気配がした。
ふわり
と冷たい空気が
動く。そして、そのまま起き上がった
誰かは、バスルームの方に向かったようだ...。
(S美? トイレかしら?)
ジャーッ。ごぼごぼごぼごぼ。
水を流す音がして、A子さんは、
(ああ、やっぱり...)
と、半分眠った頭で考えていた。
(それにしても、この冷気は何なのだろう?
外からじゃあなくて、部屋のどこか
から流れてくるような? それにS美も
おかしいわね。バスルームに電気がついて
ない。暗がりで用を足しているの...?)
隣でS美さんが、何か声をあげ、
寒そうにタオルケットを引き寄せたのだ。
「えっ!」
A子さんは混乱した。それはそうだろう。
友人はたった今、たしかにトイレに
行ったはずなのだ。そして、まだ、戻って
きてはいないはず。なのに...。
「S美!」
思わず立ち上がって電気をつけた
A子さんは、狂ったような声で、寝ている友人を
起こした。いつの間にか、さっき
感じた冷気は消えている、けれども、まだどこか、
肌寒いのだった...。
「...どうしたの?」
眠そうな顔で言うS美さんに、A子さんは
たった今、聞いて感じたことごとを
説明した。
「ちょっと、やめてよね!
寝ぼけたんでしょ?」
「でも...
念の為に、バスルームを
確認しないと...」
最初は怒ったように抗議していたS美さんで
あったが、A子さんの、真剣さに不安を
感じ始めたらしい。何と言っても
女性の2人暮らしだ。それに穏やかではない
目的で、他人の住まいに、忍び込む「やから」も
皆無とは言えないご時世なのだから。
2人は、そろりそろりと、暗いバスルームに
近づき、思い切って扉を開けた。
...
誰も、いない。
もともと狭いバスルームだ。
一目 見て明らかだった。
「ほうら、ね。もう、人騒がせは
やめてね。ちょっと...
怖かったわよ」
「ごめんなさい...」
大騒ぎをしたA子さんは、そう言う
しかなかった。やはり、気のせい だった
のだろうか? 夢と現実を、ごっちゃにして
しまったのだろうか? それにしては...。
それにしては、あの気配、あの音が、
はっきり記憶に残っている。それに...。
「ねぇ、ちょっとクーラーでも つけたの?」
布団に戻ったS美さん
の声が聞えてきた。
しきりにカラダをこすっている。
「さっきから思っていたんだけれど、
何だか...
寒いわ。何、これ...?」
【次回予告】
ベランダの前で うごく何か...
備考:この内容は、
2009-7-5
発行:KKベストセラーズ
著者:さたな きあ
「とてつもなく怖い話」
より紹介しました。