第①章 トリスバーの客
国電蒲田駅の近くの横丁だった。間口の狭い
トリスバーが一軒、窓に灯りを映していた。
11時過ぎの蒲田駅界隈は、普通の商店が、
ほとんど戸を入れ、スズラン灯の灯りだけが残って
いる。これから少し先に行くと、食べ物屋の
多い横丁になって、小さなバーが軒をならべて
いるが、そのバーだけは ぽつんと、
そこから離れていた...。
場末のバーらしく、内部(なか)は、お粗末だった。
店に入ると、すぐにカウンターが長く伸びていて、
申し訳程度にボックスが2つ、片隅に置かれて
あった。
だが、今は、そこには誰も客はかけて
なく、カウンターの前に、サラリーマンらしい
男が3人と、同じ会社の事務員らしい女が1人、
横に並んでひじをついていた...。
客は、この店の馴染みらしく、若いバーテンや
店の女の子を前に、一緒に話をはず
ませていた...。
レコードが絶えず鳴っていたが、ジャズや
流行歌ばかりで、女の子たちは、時々、それに
合わせて調子を取ったり、歌に口を
合わせたりしていた...。
備考:この内容は、
昭和55-1-25
発行:新潮社
著者:松本清張
「砂の器 上巻」
より紹介しました。