広末涼子ロングインタビュー...その1 再UP | Q太郎のブログ

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広末涼子高校2年写真熊谷 に対する画像結果

 

                             写真:黒谷貫

【広末涼子1万字ロングインタビュー】 

 

 文/聞き手:黒沼克史(ノンフィクションションライター)

 

 

 

 

1998年-3月

 

広末涼子は、高校2年生の学年末試験を

 

終えた翌日、インタビューの場に表れた。

 

前日、彼女はドラマの撮影最終日で、

 

その後打ち上げもあり、

 

あまり眠れあないで迎えた朝のはずだった。

 

が・・・

 

 

 

 

 まるで風のようにヒュウと現れて、いつの間にか

 

目の前のソファーに座っている女の子がいた。

 

それが

 

広末涼子だった・・・。

 

 

 

 インタビューが始まるまでには、まだ時間が

 

たっぷりあった。

 

彼女は車の中で仮眠を取っていると

 

言うことだった。

 

いずれ事務所の人が起こしに行って、

 

予定時刻ジャストに登場するのだろうと思っていた。

 

 

 

広末のような仕事をしている人にとって、

 

睡眠は

 

とても貴重なものに違いないからだ。

 

しかし、目を

 

冷ました彼女は

 

いやな顔ひとつせずに、自ら睡眠時間

 

を削って話の和に加わった。

 

 

 

 

 まだ、製本されていないこの、

 

写真集を初めて手にしてページをめくり、

 

カメラマンや編集者と楽しそう

 

に話している。

 

 

 

そう、多くのファンが支持している

 

この笑顔は、たしかにどこにでもいそうな高校生の

 

ものなのかもしれない。

 

 

 

けれども、、「どこにでも

 

いそうな」と「どこにでもいる」の間には、

 

どうやら大変な違いがありそうだ。

 

それは、何なのか?

 

 

 

 

 ほんの少しだけ、探りたくなってきた。

 

とりあえず、

 

外見に関して言うと、TVや映画から受ける印象

 

より3割ほど細身だった。

 

 

 

にも関わらず、こんなに

 

健康的な雰囲気を放っている高校生なんて、

 

実は「いそうでいない」のだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

広末涼子高校2年写真熊谷 に対する画像結果

 

 

 広末涼子は、小学校に上る前から芸能界に入る

 

ことを夢見ていた。これはファンなら誰でも知って

 

いる話だ。

 

 

 

 しかし、こういうチビっ子って、歌手の

 

そっくりさん大会に出場したり、児童劇団に入って

 

子役を演じたりという、いささか気恥ずかしい過去

 

があるものだが、彼女にはそういう経験がない。

 

 

 

 いままで、この点について書かれた記事では、

 

「芸能人になるんだ」

 

「TVに出るんだ」

 

「スターになるんだ」

 

「芸能界へ入るんだ」と、

 

いくつかの表現がある。

 

 

 

だが、それぞれのニュアンスは

 

厳密に言うと違う。

 

チビっ子広末は、本当は、

 

どう思っていただろうか?

 

 

 

 

 当時は「TVに出たかった」ですね。

 

芸能界とかって、

 

あまり考えたことはなかったから、

 

 

 

ただ、

 

目立ちがり屋でテレビっ子だったから、

 

中山美穂さんとか、

 

小泉今日子さんとかが、

 

大きな風船の中で

 

歌っているような感じの頃に、

 

 

 

それを見て

 

「テレビにで出たい」と思っていました。

 

ドラマもいっぱい

 

見てたから女優さんや

 

歌を歌っている人に

 

自分を重ね

 

てたんだと思います。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

広末涼子高校2年写真熊谷 に対する画像結果

 

 

 

 でも、だいぶ前のラジオで、私の保育園の先生の

 

インタビューがあったんですけども、その先生による

 

と、

 

 

 

「保母さんになりたい」って言ってたらしいんです。

 

 

 

だから職業選択は、もうちょっと遅かったのかもしれ

 

ないけど。

 

 

 

それにしても、みんなより早めに決まってた

 

というのは覚えている。

 

 

 

実はね、小学校高学年ぐらいから、

 

高知ではオーディションもないという

 

のがわかってきだしたから、

 

 

 

高校からはおばさんが

 

いる横浜に来て

 

オーディションを受けたいという話を

 

してたんです...。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

高校生広末涼子 に対する画像結果

 

 

 

 けっこう現実的に考えたりしてるんです。

 

だから、

 

友達に夢を語るのも自分では真剣でしたよ。

 

 

 

ただ、言ってる割には、

 

歌と踊りとかを習うとか何も

 

やってなくて、

 

 

 

実は「ちょっと言い過ぎた。この夢

 

は実現しないかな?」 

 

と中1ぐらいのときに思った

 

事があるんですよ。

 

 

 

スイミングへ行って、

 

お習字教室に行って、

 

エレクトーンやって、

 

ミニバスケやって、

 

多忙な子供ではあったんですけど、

 

 

 

運動系ばっかりでしたから。

 

それで、一瞬、「ヤバイぞ」と

 

思っていたら、

 

たまたま”クレアラシル”のオーデション

 

があるのを見つけたから、

 

「やろう!」と思って、

 

中学2年生のときに初めて受けたんですよ。

 

 

 

だから、ほんとに何も知らなかったんですよ。

 

映画とかも全然見てなかったし、

 

仕事を始めるまでCDも買った

 

ことなかったし...(笑)。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

高校生広末涼子 に対する画像結果

 

 

 

 広末は母親の姉である横浜のおばを、

 

「ヤッちゃんママ」と呼ぶ。

 

実家が自営業で忙しかったために、

 

 

物心つくかつかないかの頃から高知と横浜を

 

往復していた。

 

 

 

春休み、夏休み、冬休み、と、

 

長い休みは、ほとんど横浜で

 

過ごしてきたのだった。

 

 

 

だから、いまは、横浜に

 

住んでいるのだけれど、高知から上京

 

して芸能活動をしているという意識はまったくない。

 

 

 

 

彼女にとっては、どちらも、

 

ホーム・タウンなのだ...。

 

 

 

 小さい頃は、3つ下の妹と2人で、

 

スチュワーデスさんが子供だけでも

 

連れて行ってくれる

 

”ジュニアパイロット”で行ってたんです。

 

 

 

規定年齢より小さいときには大きめに言って、

 

中学生入ったときは「まだ小学生です」

 

って言ってサバ読んだりも

 

しましたけど...(笑)。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

高校生広末涼子 に対する画像結果

 

 

 

 羽田空港が新しくなったとき

 

には、びっくりしましたね。

 

降りたらいつもと全然

 

違うんで、エッ!と思った。

 

 

 

「おねえちゃん、 どうすんの?」

 

「あの人についていこう。」

 

「だいじょうぶ、だいじょうぶ」と

 

言って連いていった。

 

 

 

 典型的なO型とA型という感じで、

 

妹のほうが慎重で、

 

私のほうが、ラフなんです...。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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きゃ~!、

 

ちょっと、

 

Qちゃん、

 

どこ、撮ってんのよ!

 

 

 

 

 

備考:この内容は、

1998-4-30 

発行:集英社 

広末涼子写真集

「No Make」

より紹介しました...。