信越本線といえば、群馬県の高崎駅を起点に、
長野県内を軽井沢、長野と進み、新潟県に
入って直江津、長岡を通り、新潟駅に至る全長
327.1kmの幹線だった。線名は、経由地の
旧国名「信州」「越後」の頭の文字から、つけられた
ことは、お察しの通り...。
ところが、現在(2009年)の信越本線は、群馬県内の
高崎ー横川間と、長野県内の篠ノ井から新潟駅までと、
真っ二つに、分れている...。
原因は、ご存知のように、北陸新幹線(長野
新幹線)高崎ー長野間の開通である。
利用者を、さほど見込めない整備新幹線の
建設には、完成後、並行する在来線を、JRの経営
から、切り離すという条件が、政府より地元に
告げられた...。
そして、その最初のケースが、信越本線、一部
区間の経営、切り離しというわけだ。対象となった
のは、横川ー篠ノ井間。
長野県内の鉄道地図の話で説明した、第3
セクターの「しなの鉄道」が、このうち、軽井沢ー
篠ノ井間の経営を引き継いだが、長野県境に
かかる横川ー軽井沢川間は、引き取り手もなく、
廃線に、追い込まれてしまったのである。
結果、日本の鉄道市場、まれとも言える、本線の
物理的分断が、見事に実現した。
当初は、群馬県を中心に、横川ー軽井沢間の、第3
セクター鉄道化も、検討されたようだが、結局、
日の目を見ることはなかったようだ...。
なぜ、この、横川ー軽井沢間は、見捨てられて
しまったのだろうか?
原因は、ここが、JR 最急勾配区間であった
ことと、県境のため、地域間の人の流動が極端に
少なかったためである...。
特急列車の利用者数こそ、東京と信州の間の
流動によって、盛況だったのだが、通勤・通学
など、当区間だけの地域的な利用は、ほとんどないに
等しい状態だったという...。
特急列車の乗客が、
すべて新幹線に、移ってしまえば、ごく限られた
人の利用しか期待できない。
おまけに、急勾配区間ということで、峠超えの
ための補助機関車を、全列車に連結しなければ
ならず、膨大な運転経費が、かかっていた。
これでは、いくら ”半官半民” の、
第3セクターと言えども、
引き受けることなど出来まい...。
以上のようなことで、残念ながら、信越本線は、
分断されてしまったのであった。
ただ、横川ー軽井沢間の線路用地は、今も
残されているので、観光鉄道などでの、復活の可能性は、
無きにしもあらずといえる....
不思議なことに、群馬県内に取り残された
高崎ー横河間は、今でも、「信越本線」と
称している...。
信州にも、越後にも、通じていない「信越本線」では、
大嘘つき線名と言えよう...。
もっとも、線路名称変更は、住民感情などの
問題もあって、早々には、できないのかもしれない。
しばらくは、嘘を、続けるしか無いのだろうか...?
備考:この内容は、
2009-11-30
発行:KKベストセラーズ
「つい誰かに教え
たくなる鉄道雑学」
より紹介しました。