山の中を走る「飯田線」に駅の数が多いのはどうして...? | Q太郎のブログ

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飯田線 路線図 に対する画像結果

 

 

 

 東海道本線の豊橋駅と、中央本線の長野駅を

 

結ぶローカル線が、JR東海の ”飯田線” だ。

 

 

 

 総延長195.7kmと、ローカル線としては

 

長い部類に入るこの路線、

 

「JR時刻表」の「さくいん地図」で見ると、

 

線路が蛇行する川のように、

 

S字状に描かれている。ところが、実際の

 

地図で見ると、そんなに大きくは曲がっていない、

 

 

 

 いったい、どうして「さくいん地図」では

 

蛇行しているように、描かれているのだろうか?

 

 

 

 これは、あまりにも駅の数が多すぎて、実際の

 

線形に即した形で描くと、駅を表す「○」印が、

 

入り切らなくなってしまうからだ。

 

 

 

 駅の数は、なんと、94(両端の豊橋駅、長野駅を

 

含めた数)。

 

平均駅間距離は2.1kmとなる。

 

これは、大都市の通勤路線並みの密度である。

 

 

 

「さくいん地図」で、飯田線の西側を、ほぼ

 

並行して走る中央本線(西線)と、比較してみると、

 

その多さが実感できよう...。

 

 

 

 けれども、沿線の人口が、大都市並みに多いと

 

いうわけではない。逆に中間部では、天竜川の

 

急峻なV字谷を行く、人もまばらな山また山の

 

区間が連続する。人間よりもキツネや、タヌキ

 

の方が多いのではないか、と思えるような

 

ところである。

 

 

 

 では、なぜ、こんなにたくさんの駅が

 

作られたのだろう?

 

 

 

 人間の乗客が、あてにならないので、タヌキ

 

やキツネにでも、乗ってもらおうとした

 

のだろうか...?

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 原因は、飯田線の生い立ちが、4つの私鉄

 

路線だったことが、関係している。

 

 

 

 旧国鉄線には、私鉄路線を買収したものが

 

多い。しかも、この買収された私鉄は、大きく

 

2つに分けられる。

 

 

 

 明治後期に買収された私鉄路線は、政府の、

 

鉄道建設予算が不足していたため、本来

 

ならば、国が建設すべき長距離路線を、民間が

 

建設したものであったと言える。

 

 

 

 前の話にも出てきた「山陽鉄道」や、

 

東北本線、高崎線の前身である「日本鉄道」などが

 

その仲間である。当然、長距離路線なので、

 

駅の間隔は長い。

 

 

 

 一方、大正から昭和初期にかけて買収をみた

 

私鉄の多くは、現在の私鉄と性格の似た、特定

 

の地域内の、輸送を目的に建設されたものとなる。

 

 

 

 結果、駅の数も多い。昭和18年から19年に

 

かけては、軍事的な理由から、数多くの、地域的

 

輸送を担う、私鉄路線が買収されていった、

 

 

 

 

 飯田線の国有化は、昭和18年。当然、

 

前身の私鉄は後者となる。

 

 

 

 

 豊橋ー大海間、「豊川鉄道」、

 

大海ー三河川合間「鳳来寺鉄道」、

 

三河川合ー天竜峡間「三信鉄道」、

 

天竜峡ー辰野間「伊那電気鉄道」、

 

この4社が、被買収私鉄の面々である...。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 これらの私鉄は、少しでも乗客を増やそうと、

 

たとえ山の中であろうが、集落があれば、

 

こまめに駅を設けたという次第。

 

 

 

 そんな私鉄路線を買収して、

 

誕生した飯田線だから、

 

駅の数が多いのも、まあ致し方ない

 

話ではある...。

 

 

 

 駅の数が多いというのは、住民にとっては、便利で

 

いいことなのだが、スピードアップという

 

点では、大きな弊害となる。

 

 

 

 結果、飯田線から長距離客が逃げてしまった

 

のは、皮肉な話であった...。

 

 

 

 

 

 

 

 

備考:この内容は、

2009-11-30

発行:KKベストセラーズ

「つい誰かに教えたくなる

鉄道雑学」

より紹介しました。