【プロローグ】 1
10月18日の深夜、第3京浜国道を東京都心に
向かって、制限速度を越す時速100km以上の
スピードで飛ばす、1台のスポーツカーがあった。
アイボリー・ホワイトのポルシェ911S「タルガ」
である。日本円にして、700万円はする高級車
だが、運転しているのは、32、3歳の若い男であった。
陽焼け、というより、潮焼けしたその顔は、
精悍だが、目の縁に、かすかな披露の色が漂っていた...。
その車が、多摩川を渡り、世田谷区内に入って
すぐ、突然、方向感覚を失ったかのように、反対
車線に突っ込んでいった。一瞬の出来事だった...。
第3京浜の中央分離帯には、金網が張ってある、
その金網に、激突する形になった、
すぐ、パトカーが駆けつけたが、そのときには、
スポーツカーの白い車体は、金網にめり込み、
ブリキ板のように、潰れてしまっていた...。
アイボリー・ホワイトのポルシェ911S。その
たくましく、華麗な車体は、いまや、ひとかたまりの
鉄くずに化し、運転していた男は、血だらけで、
即○していた...。
パトカーの警官は、その、ひん曲がった車体の中に、
辛うじて手を突っ込み、やっと、車検証を
取り出した...。
<内田洋一>
と、そこに書いてある所有者の名前を見て、
警官は、ちょっと、びっくりした目になって、
血だらけの○体に、目を向けた...。
ヨット好きの若い警官は、内田洋一の名前を
よく知っていた。いや、彼だけではなく、いま、
日本人のほとんどが、内田洋一を知っている
だろう。内田洋一は、25フィートのヨットで、
た単独無寄港世界一周に成功した現代の英雄
だったからである。
油壷にある、内田洋一の家に連絡する一方、警官たちは
一時、第3京浜の一部車線の交通を止め、
実地検証に当たった。もちろん、
救急車の手配もした...。
現場は、ゆるいカーブだが、見通しは悪くない
地点である。内田が、ブレーキを、かけた痕跡は
なかった...。
後続車の運転手の証言によると、内田は、100km/h以上で
飛ばしていたようである。
警官は、ふと、中央高速道路で、
事故○したボクシング選手の
ことを、思い出した。
場所はちがえ、状況が似ていた
からである。あのボクシング選手の場合も、
アメリカ製のスポーツカーを、100km/h 以上で
飛ばしていて、カーブ地点で、反対車線に飛び込み、
トラックに激突して、即○したのである。
ボクシング選手だけに、自分の運動神経を過信し、
100km/h以上のスピードでカーブを、
曲がれると考えたのが、事故につながったというのが、
そのときの結論だった...。
今度も、同じかも知れないと、
警官は考えた。
職業は違っても、内田洋一もスポーツマンである。
しかも、同じように、100km/h以上で
ポルシェを、すっ飛ばして来た形跡がある。たぶん、
そのまま、このゆるいカーブを曲がれると
思っていたのだろう、そうしたら、急に片方の車輪が
浮き上がって、中央分離帯の金網に激突して
しまったに違いない...。
パトカーの警官が、そう結論を下したとき、
救急車が駆けつけた。が、隊員たちが、グシャ
グシャに潰れた車体から、内田洋一の○体を引き出す
ことは、不可能だった、仕方なくアセチレン
ガスが運ばれてきて、潰れた車体の何箇所かを、焼き
切ってから、ようやく、頭蓋骨が潰れ、顔も
身体も、血だらけになった○体が、外へ引き出された...。
救急車が、内田の○体を乗せて走り去ったあとに
なって、やっと、新聞記者や、カメラマンが
知らせを聞いて、駆けつけて、
「こいつは、ひでえなあ」と、
口々につぶやきながら、白い鉄骨になった
ポルシェの残骸と、ひん曲がった金網に向かって、
フラッシュを焚いた...。
備考:この内容は、
昭和59-5-10
発行:角川書店
著者:西村京太郎
「赤い帆船(クルーザー)」
より紹介しました。