「トゥナイト」
放送期間:1980(昭和55)年10月~1994(平成6)年3月
曜日/時間:月~木曜/23:25~24:20
主な出演:利根川裕、山本晋也、西村知江子、南美希子、雪野智世、田中滋実など
80年代の世相を浮き彫りに、
山本晋也監督の名リポートも誕生
『23時ショー』『ミッドナイトショー』の流れを汲む、
深夜の情報バラエティとして、1980(昭和55)年10月
にスタートした『トゥナイト』。深夜帯ならではの、
昼間の番組では、取り上げられないであろう、きわどい
テーマが、日々展開され、1994(平成6)年3月に終了
するまで、作家・評論家の利根川裕が一貫して、司会を
努めた。
番組の名を一気に高めたのは、なんといっても放送
開始から1年後に始まった、映画監督・山本晋也に
よる「中年・晋也の真面目な社会学」だろう。
第1回目のノー●ン喫茶に
始まり、の◆き部屋、マ♣トル、
旅館の女♥盛りサービス、▲▼誕生以前の、♠ルノビ◆オの
撮影現場など、性♣俗・♥産業の現場に潜入。山本は
アポロキャップに、サングラス、チョビひげという個性的な
風貌で、●俗業者や、そこで働く従業員、エ■スの
達人などを真正面からリポートした。
「ラブホ♣ル~ある愛のカタチ~」
と題された回では、ラブホ♥ルの
成り立ち、従業員の証言、過去に起きた事件の紹介から、
実際に、ホテルを訪れたカップルへの取材も敢行した。
一般社会でタブー視されているゾーンにも
深く切り込んだ内容で、いつしか番組の目玉
コーナーとなった...。
「未○人下宿シリーズ」など、ピ♠ク映画の監督と
して、業界では、知る人ぞ知る存在だった山本は、
この番組をきっかけにタレント化する。
一時期 ”カントク” といえば、山本の代名詞だった。
「~ですよ」、「すごいですねぇ」と言う、
独特の言い回しに加え、
「ほとんどビューキ」というフレーズは、
1982(昭和57)年の流行語にもなった。山本の
本質が、実は教養あふれる知性派であることは、
意外と知られていないかも
知れない。扱う内容は過激でも、なぜか、下劣さが、あまり
感じられなかったのは、そのおかげだろうか?
インテリジェンスあふれる司会、利根川裕の補佐役と
して、テレビ朝日の渡辺宜嗣や寺崎貴司アナウンサー
がサブ司会についていた。ほかにリポーターは、
乱一世、青木愛ら。番組で取り上げられたことで名を
上げた一般人も多く、番組の末期に「ジュリアナ東京」特集
で、紹介された ”荒木師匠” こと、荒木久美子などもその
1人だ...。
アシスタントは、初期の番組を支えたフリー
アナウンサーの西村知江子をはじめ、以降は南美希子、
松川裕美、雪野智世、田中滋実ら、当時のテレビ朝日局
アナたち。
中でも、アシスタント降板後も、リポーター
として、レギュラー出演し続けた雪野の存在が、とりわけ
印象深い。のちに番組での取材をもとに、ブ♥セラや、
テレ♣ラ、♠春などの実態を描いた「愛のない少女たち」
を出版している。
お色気企画以外にも、ワイドショーの特性を活かして
「□ス疑惑」「豊♧商事事件」「JAL123便◇落
事故」など、政治や事件・事故に関する硬派な内容にも
真摯に取り組んだ。普通の報道では、なかなか踏み込め
なかった現場への潜入も多く、ニュース性の高い取材
も繰り広げられた。
1980年代全般と、90年代前半に
おける豊富な取材VTRには、バブル期の夜明けから
終焉に至るまでの、世相が映し出されており、昭和の
貴重な記録である事、この上ない。また、田原総一朗に
よる政治討論の企画も、度々放送され、のちに
田原司会の「朝まで生TVショー」に発展する。
前身の「23 時ショー」時代から通じて、一強だった
日本テレビ「11PM」の唯一の対抗馬と成り得た
「トゥナイト」。80年代後半には、オリジナルの曲も
作られたが、シャカタクの軽快な「Night Birds」が、
オープニングテーマに、使われていたのが、
忘れられない...。
3年半にわたる放送が終了したあと、翌週からは、
リニューアル版の「トゥナイト2」が
始まり、司会も石川次郎にバトンタッチされて、
番組の歴史は、さらに続いていった。
バブル崩壊後にもかかわらず、
視聴者が最も熱望した、エ■の要素もまた、
さらにヒートアップして
ゆくことになる...。
備考:この内容は、
2022-1-25
発行:辰巳出版
「日本懐かしテレビ大全」
より紹介しました。