「しばしマドレーヌ」
ダジャレに、版権とか、パテントと言ったものは、
ないと思われる。それは、ある事象に対し、
ほとんど、同時多発的に、お笑い志向の者
たちによって、発せられるからだ。
ローマに関するダジャレで、
「老婆の休日」
「老婆は、1日にしてならず」
などがあるが、これなどは、ロードショー
公開と同時に、あるいは、諺に接する度に、多くの
人が思いつき、口にするであろうことは、
想像に難くなく、「活字化したのは、私です」とか、
「私は、公(おおやけ)の席で、何年も前から連発して
ます」と、主張したところで、意味はない
のである...。
ところが、落語家は、作者にこだわるから、
不思議なのである。例えば、この項のタイトルに
した「しばしマドレーヌ」にしてもそうで、
私が、古今亭しん五師匠と言ったら、文字助
(ああ、またこの人だ!)は、バカヤロー、
ありゃ、九蔵(現・三遊亭好楽師)が言った
んだと主張し、譲らないのである。
楽屋に、マドレーヌという菓子の差し入れが
あった...。志ん五師が、これを1つ取り、
ゴロリと寝転び、腕枕をした。「何だい、それ?」と
仲間のツッコミがあったところで、
「ヘイ、しばしマドレーヌ」
私は、その場面を、目撃したのだが、だから、
それは、九蔵なんだよ、と文字助は、声を張り上げ、
とにかく、相手は兄弟子で、酔っぱらい、
これは、もうしょうがないのだ。
文字助が、橘屋ニ三蔵師と口論した。
文字助が、
「俺を、ないがしろにするのか?」
と、言った途端に、ニ三蔵師が、
「ないがしろ(前頭)三枚目」
と返し、2人は和解したという。この話、
私は、文字助から50回は、聞かされているが、
当人は、酔うと、すべて忘れ、毎回
「このダジャレを知っているか?」と切り出し、
知ってると、答えりゃ、機嫌を損じるのは、火を
見るより明らかで、ズルズルと50回を
超えてしまったのである...。
文字助が、談志に向かって、ダジャレ作者の
訂正を求めた時には、驚いた。それは、その日の
談志のネタ『権兵衛狸』に関することで、
「狸が権兵衛さん家の戸を、どうやって叩く
かってえと、ここだな、後頭部。後ろ
向きになって、後頭部で、トントン、後頭部
(江東区)深川ってぐらいのもん...」
談志はここで、このダジャレは、弟子の
左談次の作だと付け加えるのだが、文字助は、
打ち上げの酔いに任せ、食って掛かった。
「あのダジャレは、師匠、オレがこさえた
んだ。オレがこさえ、左談次に教え、それを
聴いた師匠が、使っていると、こういうこった。
だから、これから先は、文字助作と、必ず言って
もらいたい。とにかく、あっしゃあ、江東区に
住んでんだから...」
江東区に住んでんだからとは、ものすごい
理屈だが、談志は、「わかった、次から
そうする」と答え、まるで、厄介払いをする
ように、「頼むから帰ってくれ!」と
言ったのだった...。
ダジャレの効用を書くつもりが、結局は、
文字助の話になってしまった。
仕方がない、
この項を、
「文字助話その4」とする...。
備考:この内容は、
2010-4-20
発行:光文社
著者:立川談四楼
「声に出して笑える日本語」
より紹介しました。