「たまたま」...① 偶然、たまさか、
② まれに、たまに、ふと(広辞苑)
自分で言うのもなんだが、小学生だった頃の
私は、いわゆる「よくできた子」だった。
おまけに、健康優良児として表彰されるほどの立派な
骨格に生まれついて、そのせいか、力も強く、
腕相撲でも、男子に負けたことがなかった...。
そんな、私を見て母は、
ときどき、言ったものだ。
「ああ、男の子に生まれてれば、良かったのに。女の子
だから、いくら成績が良くても、いくら体力が
あっても男には、叶わないものね...」
...叶わないって? 十分勝っているのに、
どうしてそんなことを、言うのだろう?
「世間に出たら、やっぱり男の人中心だからね。」
母は、ごく普通の家庭の主婦で、女として社会の
荒波にも、もまれてきたわけでは無い。それでも、なんとなく
「社会は、男の物」と思い込んでいたのだろう...。根拠が
あってそう言っているのではなく、
「みんなが、そう言っているから...」
そう、思い込んでいるに過ぎない
ことを、子どもにも「そうなのよ!」という風に
伝えるのは、無責任だと思うが、子どもだった私は、
当時、そこまでは思いつかなかった。
が、何となく、
母の態度に、「どうして?」と、問い返したくなった。
「なんで? 女でも立派にやっている人は、いっぱい
いるでしょ? お母さん、いつも言っているでしょ?
”人は、努力次第”って...」
「屁理屈じゃないの。そういうものなのよ、世の中は。
理屈っぽい女は、好かれないよ!」
「理屈っぽい男は?」
「...しつこい女も、好かれないよ!」
「誰、好かれないのは?」
「みんなに...」
「みんなって、誰と誰と誰? それとも、世界中すべての
人に、という意味?」
「ああ、疲れる! 誰でもいいでしょ!」
ちっとも、よくないのだ。重大な問題なのだが、母が相手に
してくれなければ、会話は、打ち切りになってしまう。
なんたって、母親というものは、一家の中心にいる。誰も、かなわない。
私の両親は、とても仲がよくて、母は父をたてて、父は、
母をいたわっていた。それでも一家の中心は、何となく母親
という感じが、していたので、そんな母の口から、
「世の中は、男の人中心だから...」というセリフを聞くのは、
消化不良を、起こしそな違和感があった...。
...みんなが、そう言っている...
そういうことって、いっぱいある。
...女の子は、か弱いものだ。...
これも、みんなが、言っていることだが、
現実はどうだろうか...?
前述したように、私は骨格に恵まれ、背も高く
力も強かった。クラスの女の子たちは、男の子にいじめ
られると「助けて!」と寄ってきた。理由を聞いて、
明らかに男の子に、非があると判断すると、男の子の
ところに出向いて、いじめた女の子に、謝るようにと勧める。
言われた男の子は、プライドが、傷つくせいか、
照れくさいのか、それとも、屁理屈では、かなわない苛立たしさを
持て余すのか、最後には、
「なんだよ、うるさい!」
と言って、暴力に訴える場合が多かった。
私の方も、まだ子どもだったので、男の子のプライド
まで、思いやるゆとりがなかったのだ。とにかく、
屁理屈で謝らせようとしたのだから、相手がイラつくのも
無理はない。だが、その暴力にも
私は勝てた。
なんてったって、小学校低学年の
うちは、女の子の方が発達が
早いから、背の高さ、腕の長さともに
女の子の方が、有利な場合が多い。
しかも、私は力自慢、殴ろうと
伸びてきた、男子の腕をかわし、
その腕に空手チョップ
(あぁ、なつかしい!)
を、見舞ってやり、それで、
一件落着。
めでたし、めでたし。
悪の栄えた ためしはない。正義は
必ず勝つ。といい気持ちに
なっていた...。
負けた悔しさで、しくしく
泣きながら去っていく男の子に対して
「男のくせに、メソメソするなんて」と、
女の子同士で、笑い合っていた...。
...男のくせに。...
いつとは、なしに自分も「男」とか「女」とかの
イメージを、「世間並みの言葉」で、とらえていたことに、
その時は、気づかなかった...。
...女の子が、泣くのは可愛そう...
...男の子が、泣いたらみっともない...
その時の自分の都合で、もしくは、自分が男か女かで、
相手に対して、根拠のない常識を押し付けようと
する。そんな身勝手さを、自分も、持っていると
気がつくのは、ずっと後になってからのことだ...。
男と女だけではなく、ある立場とか職業とか、
はては民族まで、○○は▲▲だ、と誰かが言ったことを、
あるいは、みんなが、そう言っていることに、
知らず知らず、振り回されていて、振り回されている
ことにすら、気づかないことって、多いのでは
ないだろうか...?
中学生になり、クラス委員の任命があった。
小学生のときは、各クラス、男女一名ずつが「委員」として
選出されていた。
ところが、中学生になったら、「男子は
委員長、女子は、副委員長」という仕組みになった。
なにも「長」になりたいわけではなかったが、
自動的に「副委員長」と言われて、釈然としないものを
感じた...。
小学生の頃、よく女子に暴力を、奮っていた
A君と、同じクラスになった。ある日、A君は、中学生の
ころと同じパターンで、女子に暴力を振るおうとした。
私は、かつて、彼に、”腕”で、勝ったことがあったので、
自信を持って「よしなさい!」と割って入った。
そこへ、Aくんの腕が飛んできた。何ということだ!
小学生のときとは、うって変わって、力強く固いパンチ!
中学生になって、急に体格も良くなり、いつの間にか
私より背も高くなっている! それらのショックと
予想外のパンチの強さに、私は、思わず
泣き出してしまった。それを見て、周りの人たちは、
「A 謝れ!」
「A ひどい!」
と、口々にA君を、攻め立て、ついに
A君が、いたたまれず、泣き出してしまったのだ...。
シクシク泣いて、味方を一身に集めた私。
泣いて、男のくせに、と言われているA君。事の起こりは、
A君のせいだが、結果として、「男のくせに。」と
言われるその姿は、たまたま男に生まれてきた不運を
背負っているように思えた...。
女だから “福” に、決まっている。と言うのも
変だが、男だから ”長” に、させられて当たり前、
というのも変なのだ...。
男の子も、けっこう大変なのだ。
たまたま男に生まれただけで、泣いても、弱くても
バカにされてしまう。しくしく泣き続けるふりを
しながら、”たまたま” について、もっと真剣に考えて
みようかな?と、私は、思い始めていた...。
(タマタマ女:田中満智子著・実業乃日本社による)
備考:この内容は、
2015年
発行:県教育振興委員会
「明るい人生」
より紹介しました。