不屈の日本SF映画史... | Q太郎のブログ

Q太郎のブログ

パクリもあるけど、多岐にわたって、いい情報もあるので、ぜひ読んでね♥
さかのぼっても読んでみてね♥♥

 

文=尾崎一男



 

 日本SF映画史を語る時、

 

その起点をどこに置くべきか

 

・・・。



 

 異論はあるかも知れないが、

 

やはり1954年の『ゴジラ』

 

の名を挙げることになる

 

だろう。核実験の影響で太古の

 

恐竜が怪物化し、現代都市を

 

破壊すると言う同作のストーリーは、

 

やや飛躍的ながらも

 

科学的な発想に基づく立派な

 

SFだ。そして、この映画を

 

きっかけに映画会社・東宝は

 

特殊撮影をセールスにした

 

「東宝特撮映画」というジャンル

 

を確立させる。こうした点で

 

ゴジラは、日本SF映画の

 

発展に対する貢献度も高い。





 

 そんな映画『ゴジラ』の

 

大ヒット後、ほどなく同作は

 

シリーズ化され、それと並行

 

する形で東宝は円谷英二を

 

特技監督に置き、特撮を多用した

 

SF映画を製作することに

 

なる。



 

 

 

 

宇宙大戦争



 

 そこには『地球防衛軍』

 

(57年)や『宇宙大戦争』(59年)

 

に代表される、人類と

 

エイリアンの総力戦をとらえた

 

パノラミックな大作もあれば、

 

『電送人間』や『ガス人間

 

第1号』(同60年)といった、

 

暴走科学の犠牲になった者の

 

悲劇がテーマの「変身人間

 

シリーズ』など、小粒なりに

 

スリリングな作品もある。







 

 


 

特に、『地球防衛軍』は、邦画で

 

初めて宇宙人による地球侵略を

 

描き、日本を飛び越え世界

 

レベルで誇れる逸品だ・・・。




~~~~~~~~~~~~~

 

 


 

 

 

 

宇宙人東京に現わる



 

しかし『地球防衛軍』が

 

宇宙人映画の先駆けかと言えば、

 

他社はすでに岡本太郎

 

デザインの友好宇宙人が現れる人間

 

に警告する『宇宙人東京に現わる

 

(56年)など先んじて

 

スクリーンに展開していた。



 

そう特撮映画製作の基盤を

 

持たない東宝以外の会社も、

 

クオリテイの差はあれSF映画を

 

発表してきたのである・・・。



 

 

 

 

人情劇でおなじみ松竹は

 

『吸血鬼ゴケミドロ』や

 

『昆虫大戦争』(同68年)といった、

 

逆に人間性を疑いたくなる

 

トラウマ系作品を、そして時代劇を

 

得意とする大映は、

 

農民を圧政で虐げる領主を巨大な

 

武神が駆逐する『大魔神』

 

3部作(66年)を発表している。

 


 


 

 SFとは特に距離を感じる

 

東映も『海底大戦争』(66年)



 

 

 

や『ガンマー第3号宇宙

 

大作戦』(68年)など、海外

 

展開を視野に入れたSF映画を

 

日米キャストで製作し、

 

クエンティン・タランティーノや

 

『ドライヴ』(11年)の監督

 

ニコラス・ウィンディング・

 

レフンといった、海外の熱い

 

信奉者を生み出している・・・。





 

 とはいえ『ゴジラ』以降、

 

特に1960年代の日本SF

 

映画は、それはもう東宝の

 

独占市場だったと言っていい。





 

 自由な発想を映像化する環境

 

が整っていたのだから・・・。


 


 

 

 ただ、ゴジラを筆頭に『空の大怪獣

 

ラドン』(56年)や『モスラ』

 

(61年)など、怪獣ものが次々と

 

生み出される現況が

 

『SF映画』と「怪獣映画」を同義

 

にしてしまったのも

 

事実である・・・。



~~~~~~~~~~~~~~~

 

 

 

この事に対し、『SFマガジン』の

 

創刊者にして、

 

戦後日本SF界のイノベーター

 

である作家の福島正実は、

 

映画雑誌『キネマ旬報』の別冊

 

増刊号『世界SF映画大艦』

 

(69年)に寄せた論考の中で、

 

疑問を呈している。

 

 

 

「なぜSFモンスター

 

まがいのスペクタキュラーに

 

するのか?」

 

 

 

おりも悪く、当時は

 

「2001宇宙の旅」あるいは

 

「猿の惑星」(同68年)といった

 

知的な内容の海外SF作品

 

の、日本公開が重なった時期で、

 

こうした流れが、「それに

 

引き換え。我が国の体たらくは...

 

の感情を大いに煽った。

 

 

 

さらには、当時、映画会社が

 

小松左京の「日本アパッチ族」や、

 

安部公房の「第四間氷期」などの、

 

秀作SF小説の権利を

 

取得しながら、一向に映画化の

 

動きを見せなかったことも、

 

当時、まだ一般的ではなかった

 

SFの社会認知に尽力する

 

福島の「不服」を増幅させた

 

のだ...。

 

 

 

 

===============

 

 

 

 

日本のSFレベルを

底上げした『日本沈没


 

 

 

1973年、そうした福島の

 

懸念を、日本映画は遅まき

 

ながらも払拭することになる。

 

「日本アパッチ族」の映画化

 

を塩漬けにされていた小松左京が、

 

8年越しで執筆した

 

書き下ろしSF小説『日本沈没』、

 

本作が出版と同時に映画化

 

されることになったのだ。



 

日本列島が海溝に

 

沈むと言う驚愕の発想。



 

母なる国を失った日本

 

民族はどこへ行くのか

 

という、自然科学と

 

人文科学を網羅したSF

 

性は巨大にして壮大。

 

期待と同時に、あまりにも

 

作品規模がデカすぎて、

 

はたして映画化が

 

可能なのかという

 

ムードが漂っていた。しかも

 

このころ、日本映画はテレビ放送に

 

娯楽の座を奪われて斜陽化

 

の一途をたどり、製作元の

 

東宝は円谷英二の死後、特殊

 

技術部門を縮小して

 

いたのである・・・。





 

だが、東宝は体制を整えて

 

製作に挑み、空前の大ベストセラー

 

小説となった『日本沈没』

 

は、見事に映画化が成し遂げ

 

られた。そして国内配収16億円

 

という、当時の日本映画

 

としては最大のヒットとなり、

 

低年齢向けと認識されていた

 

日本のSF映画が、取組み

 

次第では、「一大エンタテイメント」

 

として幅広い層に

 

受け入れられることを

 

証明した・・・。





 

 なにより小松左京という

 

希代のSF作家によって、

 

良質なSF映画は良質な

 

ストーリーから成り立つと言う重要性が

 

省みられたのだ。そこで

 

東宝は、小松左京の代表的な

 

超能力サスペンス『エスパイ』

 

(74年)や平井和正原作の

 

ウルフガイ(狼男)シリーズ

 

から『狼の紋章』(73年)、

 

偽のタンカー爆破でテロリスト

 

をあざむく田中浩二の





 

『東京湾炎上』(75年・原作名は

 

「爆発の臨界」)など、日本を

 

代表するSF小説の映画化を

 

連続的に果たしていく。そして、

 

この流れを見届けて安堵を

 

示したかのごとく、福島正美は

 

1976年にこの世を去った・・・。

 

 

 

 

 

===================

 

 

 

 

 

 

【『スター・ウォーズ』の脅威に屈せず】

 

 

 

時代は、1970年代後半。

 

だがこの頃、日本SF映画の

 

主導権を握っていたのは、

 

実写映画ではなく、アニメーション

 

だった。『宇宙戦艦ヤマト』

 

(77年)を引き金に巻き起こった

 

空前のアニメブームは、

 

その勢いに乗って、実写SFを

 

凌駕していったのである。

 

 

 

さらに、日本SF映画に

 

とっての脅威は、国内だけでなく、

 

海外からも忍び寄ってきた。

 

 

 

そう、アメリカSF映画の

 

歴史を変えた『スター・ウォーズ』(77年)だ。

 

 

 

しかし、『スター・ウォーズ』

 

の日本での公開は、1年の

 

スパンが空いていたため、映画会社は

 

合間に類似するテーマの宇宙

 

SFを撮る戦法で、その到来を

 

受けて立った。

 

 

 

東宝は自社作品『海底軍艦』(63年)の

 

人気メカ・轟天号を宇宙仕様

 

にし、戦いの相手を海底人

 

からエイリアンにした『惑星

 

大戦争』(77年)を、そして

 

投影は、『南総里見八犬伝』を

 

スペースオペラとして、アレンジ

 

した『宇宙からのメッセージ』

 

(78年)を準備。

 

 

 

『スター・ウォーズ』

 

ヒットの波にまんま

 

と便乗し、その甲斐あって

 

どちらも興行的には成功した。

 

が、日米の特撮レベルの

 

違いを露呈する結果となり、

 

日本SF映画は、土台からの見直しを

 

迫られることになる...。

 

~~~~~~~~~~~~~~~

 

 

 

 

おりしも日本映画界は

 

ブロック・ブッキング(大手映画

 

会社の配給計画に沿って、

 

映画館が特定の作品だけを上映

 

すること)の劇場上映スタイル

 

から、洋画を意識した大作

 

志向の時代となり、どの

 

会社もことごとく超大作を打ち出す

 

ようになった・・・。



 

そんな中、この流れに

 

乗って映画製作に参入し、自社

 

出版小説の映画化とミックス

 

メディア展開によって大きく

 

台頭してきた「角川映画」の

 

ことを記し漏らすことはできない。


 

 

 

 




 

 戦国時代にタイムスリップ

 

した自衛隊が、現行の兵器

 

で戦国時代たちと合戦を

 

繰り広げる『戦国自衛隊』(79年)、

 

そして小松左京原作のバンデ

 

ミック終末映画『復活の日』

 

(80年)といった大作SFを

 

世に送り出し、また同時に

 

薬師丸ひろ子や原田知世ら、

 

自社の映画女優の主演作として



 

 

 

                      

 

『ねらわれた学園』(81年)や


 

『時をかける少女』(83年)

 

など、ジュブナイルSF小説を

 

原作とするライトスタイルの

 

映画を製作。日本SF映画への

 

貢献はとてつもなく大きかった

 

ねだち

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

だが一方、1980

 

年代に入ってもくすぶり

 

続けていたのは、いくら邦画が

 

大作化されても埋まらぬ、

 

日本SF映画と洋画SF映画の

 

クオリティ格差だった。

 

 

 


 

ことに『スター・ウォーズ』が

 

あらわにした、最新のアメリカ

 

特撮と、旧態依然たる日本

 

特撮との技術の隔たり。技術の

 

限界が創造に妥協を強いる

 

ことをファンは畏れ、「最新

 

テクノロジーを投入した日本SF

 

映画」を待望していたのである・・・。


 


 



 

 

 



 

「さよならジュピター」(84年)

 

は、こうした希求に応え

 

るべく登場し、日本SF映画

 

の歴史を変えようと奮闘した

 

意欲作だ。『日本沈没』の

 

小松左京が原作と製作総指揮を

 

担当し、我が国を代表する

 

SF作家たちのブレーンストーミング

 

によって練られた物語

 

・・・木星を太陽化し、人類が

 

新たな生命エネルギーを

 

得ようとする壮大な宇宙SFで

 

ある。当時ハリウッドの視覚効果の

 

花形だったモーション・

 

コントロール・カメラを導入

 

するなど、その製作はストーリー

 

のみならず、特撮技術にも

 

徹底した補強が図られた

 

のである・・・。





 

残念ながら、完成した作品

 

は「勢いがつきすぎて空振り」

 

という印象を残し、『さよなら

 

ジュピター』は満足に当初

 

の目的を果たしたとは言い難い。

 

しかし、ここで盛り

 

上がった機運は、長い空白期に

 

さらされた『ゴジラ』シリーズ

 

の復活を息づかせる。そして

 

本作で見せたすぐれたメカ描写

 

は、次へ繫がる展開を導き、

 

アニメ『機動戦士ガンダム』

 

の日本サンライズと共同で



 

 

 


                     

実写巨大ロボット映画

 

『ガンヘッド』(89年)が製作されるなど、

 

残した足跡はそれなりに

 

深く刻まれたのだ・・・。





 

 また、『さよならジュピター』

 

が誘引する形となった

 

『ゴジラ』復活は、1990年代を

 

迎えてかつてのライバルをも復活させた。

 

ガメラである・・・。

 



 

 

 

Q太郎のブログ




 

平成の時代によみがえった

 

『ガメラ 大怪獣空中決戦』(95年)

 

のガメラは、黙示録的に

 

派生した肉食怪獣ギャオスを

 

駆逐するための「カウンター

 

ウェポン」(生物兵器)という

 

設定が与えられ、ゴジラから

 

こぼれおちていた生物的

 

リアリティや、巨大生物が出現した

 

時の社会的影響のシュミレーション

 

など徹底的な

 

ディティール描写が固められた。それが

 

功を奏し、多くの評論家や

 

観客から絶賛を受けたのだ。

 

 


 

 

          

 

そしてシリーズ2作目となる

 

『ガメラ2レギオン襲来』

 

(96年)では、第17回日本

 

Sf大賞を受賞。これまで

 

優れた国内SF小説やコミックの

 

みに与えらていた賞が、

 

初めて映画にもたらされたので

 

ある。なにより、かつて東宝

 

特撮が陥っていたジレンマ


 

「怪獣映画とSF映画の同義」を、

 

SFの権威が肯定という

 

形で受け入れたのだ・・・。

 

 

 

 

 

~~~~~~~~~~~~~~

 

 

 

 

ジャンル崩落の悲劇

そして新たなる希望へ



 

 そんな日本SF映画を

 

めぐる状況が、まるで夢のようだ

 

ったと思われてならない2000年代。



 

 シネコンの増加による市場

 

の拡大や、製作委員会方式に

 

よるリスクヘッジや

 

ファイナンス活用、テレビ局による

 

映画事業への積極的展開などに

 

より、日本映画のビジネス

 

モデルは大きく変わり、それに

 

伴い製作される映画にも変化が

 

生じる。劇場オリジナル作品

 

といった興行価値の未知数な

 

ものは回避され、確実な集客

 

や、多くのスポンサーや製作

 

関係者らを納得させるために、

 

すでに知名度のあるタイトル

 

と企画が優先されるように

 

なった・・・。


 

 


 

『戦国自衛隊1549』(05年)、

 

『日本沈没』(06年)、

 

『スペースバトルシップヤマト』

 

(10年)、『GANTZ』(11年)

 

など・・・。これらはたしかに

 

SF作品かもしれないが、

 

人気コミックの実写映画化や

 

過去のヒット作のリメイクと

 

いう名目が目立つ。まるで

 

ライトノベルに取り込まれた

 

SF小説のように、SF映画と

 

いうアイデンティティは希薄

 

になってしまった・・・。





 

それに追い打ちをかける

 

ように、当の制作側が「SF

 

映画に客は入らない」という、

 

まことしやかな興行ジンクス

 

を信じ、SFを声高に宣伝

 

することを避けるようになって

 

きた。まさに今、日本SF

 

映画は受難の時代なのである。





 

だが「技術の限界は創造に

 

妥協を強いる」と過去には

 

懸念された点も、映画がデジタル

 

へと移行したことで、

 

イマジネーションが限りなく

 

具現化できる環境になった。

 

また同時にデジタルのワーク

 

フローが低コスト化を招くことで、

 

映画製作の多様性は広がり、

 

優秀な作り手や新たな才能が

 

市場に参入してくるかも

 

しれない。日本SF映画の未来は、

 

そういつまでも闇のままでは

 

無いだろう・・・。



 

 


 

筆者はかって『リターナー』

 

(02年)など、オリジナル

 

SF映画を意欲的に手掛けて

 

きた山崎貴監督に

 

『スペースバトルシップヤマト』の

 

インタビュー取材で訊いたことが

 

ある。「誰が監督しても批判

 

される、リスクの大きな仕事

 

を引き受けた動機はなんなの

 

か」と。



 

監督はこう答えた。



 

「どんな形であれ、SFの火を

 

絶やしちゃダメなんです。

 

いつかまたオリジナルSFを

 

手掛けられる、その日が来る

 

のを信じて・・・」





 

映画の環境が変わっていく

 

ことで、それに併せて日本の

 

SF映画は今後どのような

 

姿になっていくのか? いつか

 

その存在が、洋画SFと拮抗

 

するほどになるために、今は

 

ただ風向きのいい状況である

 

ことを願うのみだ・・・。

 

(文=尾崎一男)

 

 


 

 

 

 

 

備考:この内容は、

2012年8月21日

発行:「異次元SF映画100」

より紹介しました。