【再出発】
この山深い東北の秘湯を、若い女性客にも
大人気の名旅館に育て上げたのは、佐藤和志
社長(53歳)である。もちろん、一番わがままな
客である女性が満足すれば、多くの世代に
万遍なく受けるに決まっているが、その
理由は、佐藤さんに会えばよくわかる...。
地方の工業高校を卒業後、東京北区浮間に
ある製紙会社に努めて3年目の佐藤氏は、
新しいもの好きで、アイディアマンであった父上に
呼び戻されて、乳頭温泉郷で、当時廃屋同様に
なっていた大釜温泉の権利を借り、支配人をする
ことになった。その建物も左官屋だった父上
が、独力で、再建したものだったという。佐藤氏
は、当時20歳であった...。
その後、10年近く苦労して続けた大釜温泉が、
昭和53年に宿泊した無銭飲食の大学生カップル
による○○未遂で部屋に放火され、宿は
全燃。建物は、曲がりなりにも再建したが、
紆余曲折を経て、権利を返却せざるを得ない状況と
なる。
窮地に立った佐藤さんに、手を差し伸べた
のが、当時の ”鶴の湯” 13代目経営者、羽川
健治郎氏だった。同氏には、後継者がおらず、
佐藤氏の人柄を見込んで、経営権を出世払いに
して譲り渡してくれたのである。佐藤氏に
とっては、賃金ゼロからの再出発だった...。
当時は、現在の旧本陣と食堂になっている
広間の一部、そして湯治棟があるのみの寂れた
湯治場であった。
佐藤社長が、最初に手掛けた
のが、WCの水洗化だったという。そのころ、
乳頭温泉郷の宿は、どこも渓流沿いに建つ条件
下で、大小▲は、その川の深い淵に垂れ流しして
いたが、第一に客に満足して欲しいのと、
早晩、この状態は、限界に来るだろうという読みも
あった...。
水洗化に続いて、水車発電、増築工事と、
佐藤氏は、収益をつぎ込んで、宿を拡大していった...。
だが、温泉ブームの中でも、隣接する ”黒湯” で、
当時の支配人であった「後藤紹弥」氏に教えられた
「昔の佇まいを残さなければ客は来なくなる」
という言葉を、頑なに守り、サッシと、新建材は、
一切使わず、昔のままの工法で、新しい
棟を次々と増築し続けた...。
その方針は、今でも変わらない。
もっとも、水車発電だけで賄い来れなく
なった電力を、客室から遠く離れた2基の
ディーゼル発電機に、肩代わりさせているが、近い将来
ガスタービン発電に切り替え、余剰で発生
する蒸気を使って、女性客から要望のある
上がり湯も手に入れたいと、顧客サービスへの
意欲は衰えを知らぬかのようだ...。
とは言え、「材料費と職人への支払いが、一時に
かかるんですよ」という茅葺屋根は6~7年で、
葺き替えなければならない。杉の皮を使って
葺いた屋根も、5~6年で葺き替えとなる 。
宿の周囲に掘られた用水には、丸めてヒビ割れ
ないよう水に漬けてある、沢山の杉皮を見るこ
とができる。手間のかかるのは、承知の上で、
心休まる景観を守ることが、”鶴の湯”の原則
なのである...。
そのうえ、歴史のある木造旅館を存続する
者にとって、日本の消防法など数々の厳しい
規則が大きな壁となって立ち塞がる...。
「規則を少しでも、かわす方法が、
自家発電なんです。宿を横切るように流れる
湯ノ沢川の護岸工事も、自分のところで石を積んで
仕上げました。補助金を待っても、いつに
なるかわからないし、父の仕事柄、工事は得意
なんですよ。人に頼らずに積極的にやっていく
のが、私のやり方なんです」。
全国で、ムダな公共事業を見直す機運が高ま
る中、ご多分に漏れず乳頭温泉郷を流れる
先達川上流にも、コンクリートの頑丈な砂防
ダムが数段に渡って建設され、立派な? 護岸
工事も加わって、美しい自然の景観が過去の
ものになった場所もある...。
「ひと目、その惨状を、観ていってください」
佐藤氏は、食堂の囲炉裏端に座り、朴とつな
語り口で、夜の明けるまで熱っぽく、これから
の ”鶴の湯” への思いを語ってくれた...。
翌朝、旅慣れた同行カメラマンが感に堪え
ない様子で、
「この旅館は、居心地がいいね」
と言う。そう言えば、夕食時間までに風呂を
済ませろとか、早朝に風呂から帰ると、部屋が
早々と片付いていたとか、並みの宿では、よく
出くわす、あの追われるような、せわしなさが
無いのである。それでいて、欲しいものは
いつの間にか、手元にあるという具合だ。
手放しで、褒め過ぎと思われるかもしれないが、
私にとって、久々に得た上等な時であった...。
そして、それを与えてくれるかどうかは、
詰まるところ、人次第なのであった。旅する人の
わがままを優しく受け止めてくれた「湯の宿」を機に、
私は、広大な "ブナ" や "トドマツ" の自然林に
囲まれる、八幡平の尾根筋へと W650 のハンドルを
向けた...。
備考:この内容は、
平成12-10-15
発行:八重洲出版
「motor ciclist」
より紹介しました。