山口百恵「蒼い時・性」...その2 | Q太郎のブログ

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山口百恵中学生 に対する画像結果

 

 

 

 11歳になろうとしていた1月5日、私は、

 

初○を見た。まだ、家々が建てられる前の平らな

 

土地が広々と見える道端に、ポツンと立てられた

 

時刻表。そこは、バスの停留所だった。

 

 

 

 

 年始めに行った帰り道、

 

私は、母と並んでバスを待っていた。

 

肌寒い、もう夕暮れ間近だった。何の話を

 

するわけでもなく、待つ時間のもどかしさと、風の

 

冷たさに負けて、私は、その周辺を歩き回っていた。

 

 

 

 その一瞬、下腹部にチクッと、刺されたような

 

痛みを感じた。次の瞬間、身内の熱が固まって

 

転がり落ちた。

 

 

 

「生○だ!」 漠然と、そう思った。

 

確かめるために、近くの茂みにかがみ込んだ。両の足の

 

間に、小さな朱色を発見した私は、すぐに

 

は肺告げた。母は淡々と、それでも、うれしそうに

 

笑って、

 

「お赤飯炊かなきゃね」と、囁いた...。

 

 

 

 その頃、すでに級友の中でも、半数くらいの

 

人が、初○を経験していた。身近な女の子が、1人

 

ひとり、自らの扉を開いて行くのを、目の当たりに

 

見ながら、自分1人が、取り残されてしまうかも

 

しれないという、小さな不安を感じ始めていた

 

矢先の出来事だった...。

 

 

 

 小学校5年の夏や海に入る前、男子生徒と

 

隔離されていた別室で、フィルムを見せられた。暗幕を

 

張り巡らされた中で、”生○と女性のからだ”

 

についてのフィルムと、教師の説明があった。

 

 

 

どこか秘密めいた感じを、女子全員が受けていた。

 

それを、男子生徒に知らせることは罪悪で、女子で

 

ある資格がないと教師は言った...。

 

 

 

 

 

 

 

 

山口百恵雨に濡れた少女 に対する画像結果

 

 

 

 

 初○を迎えたということに、とりたてて

 

感慨はなかった。ごく自然に、時が経過したことを

 

悟ったにすぎなかった...。しかし、異性の目を

 

意識しながら、カバンの中からナプ○ンをそっと

 

取り出すときの、快感にも似た気持ちの正体は、

 

この時の私には、まだわからなかった。

 

 

 

 

 

 あれから、10年...。

 

 

 

 毎月、毎月、生○を迎え、定期的に女である

 

ことの証拠をつきつけられることは、私にとって

 

決して不快なことではない。女として、1人前で

 

あるという、唯一の手がかりなのである。誇りである

 

と、言っても言い過ぎでは無いだろう。

 

 

 

 本来は、わずらわしいことなのかも

 

しれない...。

 

 

 

「こんな、わずらわしいものがあるなんて...

 

 

もう2度と、女になんて生まれたくないわ」

 

 

 

 そんな言葉を、耳にしたことがある。

 

 

 

 

 

 事実、私は生○痛がひどくて、特に冬場に

 

なると、声も出ないほどになってしまう。仕事柄、

 

そんなことで、休むわけにもいかないのだが、腹痛と

 

微熱で、ボーッとしてくるし、誰かと落ち着いて、

 

話をしなくてはならない時など、冷や汗を

 

かきながらということになってしまう。

 

 

 

 もっとも、自分では、声質や声の出具合までが変化する。

 

生○中は、高音部がきつくなってしまう、もっとも

 

自分の中の、こんな変化に気づいたのは、ごく

 

最近のことではあるのだが、女性の体の細部に

 

わたって、生○というものが影響を、及ぼしていることに

 

気づいた時、私は改めて、自然の創り出した

 

しくみの素晴らしさを感じた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 この自然の創り出したリズムが、

 

狂わずにいることに対しての、安心感

 

というのは、大きなものなのだろうと思う。

 

 

 

 

 それは、昔、ナプ○ンを取り出す時に感じた、どこか

 

誇らしげな気分、女の実証ということに

 

つながっているような気がする...。

 

 

 

 自分自身の体のサイクルを、つかむということは、

 

決して簡単なことではないが、必要なことだと

 

思う。生○によって感情のバランスがくずれる

 

ということを聞いたことがある。

 

 

 

 確かに、私も時として、

 

自分の感情をコントロールできずに、

 

苛立つことがあった。自分の生○に、自分の人格が

 

いつの間にか、引きずられてしまって

 

いたのだろう...。

 

 

 

 

 

 だが、そんな私も19歳の頃から、ようやく

 

女としての自分の体を、客観的に見つめられる

 

ようになってきた...。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 職業柄、私たちは、どうしても、肉体そのものを、

 

取り沙汰されることが多い。水着での撮影...

 

 

グラビアであったり、番組であったり、その度に

 

露出度が話題になり、ハプニングで身体の一部が

 

見えたと言っては大騒ぎになる。

 

 

 

 しかし、それだからといって、私は特別、水着というものを拒ん

 

だりはしなかった。水着の場合は、ビキニを好んで着た。

 

別段、スタイルに自信があるわけでは

 

なかったが、自分の体型には、一番似合うと判断

 

したからである。

 

 

 

 ただし、その撮影には、常に1つだけ

 

条件をつけていた。スタジオ、プール以外、

 

つまり海ならば、という条件だった。スタジオや

 

プールで肌を見せることには、どうしても抵抗があった。

 

 

 

戸外でなら、私は屈託なく水着になった。

 

 

 

 水着はともかく、ハダカということには、かなり

 

抵抗があった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

『伊豆の踊り子』や『潮騒』という

 

映画の中で、それを必要とされたシーンが、

 

幾度かあったのだが、これは、ギリギリまでという

 

ラインを規定した上で撮影された...。

 

 

 

 それは、私の意思というより、

 

アイドルタレントというものを

 

抱えたプロダクションの方針であった...。

 

 

 

 

 

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【次回予告】

 

 『ふりむけば愛』という映画の中で、初めて

 

上半身のみ、何もまとわずに撮影した。もちろん、

 

私自身、納得しての結論だったのだが...

 

 

 

そういうシーンを撮影するのは初めてと

 

あって、周囲の気の使い方は、

 

並大抵ではなかった...。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

備考:この内容は、

昭和58-12-28

発行:集英社

著者:山口百恵

「蒼い時・性」

より紹介しました。