翌日、昼前に家に帰ると、アキのところに電話をかけて、会えないかどうかを尋ねた。
彼女の方は、すでに午後から予定が入っていた。夕方なら大丈夫だというので、5時に
待ち合わせて、1時間ぐらい会うことにした。
2人の家から、ほぼ同じ距離のところに神社がある。僕の家からだと、川沿いの道を
南に500mほど行き、橋を渡ったところが正面の大鳥居である。ほこりっぽい土の
駐車場を抜けると、長い石段が、小高い山の中腹まで続いている...。石段を登りきったところに
社があり、そこから東の方角に、1本の細い道が見える。道は住宅地の中を、国道まで
伸びている。警察署の前の信号を渡り、少し奥へ引っ込んだところがアキの家だ。早めに
待ち合わせの場所に着いて、社のある境内から、彼女がやってくるのを、見ているのが好き
だった。少しでも早く姿を見つけることができると嬉しかった...。
僕に、見られていることも知らずに、アキは、やや前かがみに自転車を漕いでくる。
東側の登り口に自転車を止めると、僕が、登ってきたのとは、別の細い石段を、小走りに
駆けてくる。
「遅くなってごめん」 彼女は、肩で息をしながら言った。
「走らなくても、よかったのに...」
「あまり時間がないから...」 そう言って、大きく息を吐いた。
「何か予定があるの?」 僕は、腕時計を見て尋ねた。
「別に何も...。お風呂に入って、ご飯を食べるだけ...」
「なら、時間はあるじゃない?」
「夜になってしまうわ...」
「これから、何をするつもり?」
「さぁ?」 アキは笑いながら、「塑ちゃんでしょう? 呼び出したのは?」
「そんなに時間は、取らせないよ」
「じゃ、急がなくてもよかったんだ」
「さっきから、そう言っているのに...」
「とにかく、座りましょう...」
僕たちは、アキが駆け上ってきた石段の一番上に、腰を下ろした。眼下に町並みが
広がっている。どこからか木犀の匂いが、風にのって漂ってきた...。
「用ってなに?」
「東の空は、もう暗いね?」
「えっ?」
「今夜は、2人でUFOを見るぞ!」
「何なのよ?」
「これ...」
僕は、ジャンバーのポケットから、例の小箱を取り出した。蓋が開かないように、太い
ゴムバンドがかけてある。アキは、中身を察したのか、ちょっとたじろぐような素振りを
見せた...。
「取ってきたの?」
僕は、無言でうなずいた。
「いつ?」
「昨夜」
ゴムバンドを外して、そっと蓋をあけた。箱の底に、白っぽい破片が入っている。
アキは改めて、箱の中を覗き込んだ。
「ずいぶん、少ないのね?」
「おじいちゃんたら遠慮しちゃって、これだけしか取ってこなかったんだ。
慎ましいというか、気が小さいというか...」
彼女は、僕の言葉を聞き流し、
「そんな大切なものを、どうして塑ちゃんが
持ってるの?」
と尋ねた...。
「預かってるんだ。おじいちゃんが○んだら、2人の骨を混ぜてどっかに
撒いてくれってさ」
「遺言?」
「まあね」
僕は、祖父のお気に入りの漢詩の話をした。
「洞穴の願いって、言うんだそうだ」
「どうけつ?」
「○んだら、同じお墓に入ろうねっていう。いつかは、また自分たちは一緒になるんだって
考えないと、愛する人を失った人の心は癒やされない。こうした思いは、
万古不易(ばんこふえき)のものだろうって、おじいちゃんは言ってた...」
「だったら、同じお墓じゃなくていいのかしら?」
「まあ、おじいちゃんたちの場合は、”一応不倫” になるわけだから、
やっぱり、同じお墓ってのは、差し障りがあるんだろう?
それで、散骨なんていう姑息な方法を、思いついたんじゃないかな?
こっちは、いい迷惑だよ」
「そんなに一緒になりたいんなら、いっそのこと食べちゃえばいいのに?」
「骨を?」
「カルシウムとかも あるしさ?」
アキは、小さく笑った...。
「私が○んだら、塑ちゃんは、私の骨を食べるの?」
「食べたいね」
「いやだ!」
「いやだと言っても、アキは○んでるんだから、どうしようもないよ。僕は、昨夜みたいに
お墓を暴いて、アキの骨を取ってきて、毎晩、ちょっとずつ食べるんだ...
健康法...」
彼女は、再び笑った。その笑いを不意に収めて、
「わたし、やぱりどこか景色のいいところに撒いてほしいな 」
と、遠くを見つめるように言った...。
「お墓って、なんとなく暗くて、ジメジメしてるもの」
「そういう具体的な話を、してるわけじゃないんだけど...」
笑い合う代わりに静まって、2人の間で言葉が途切れた。
僕たちは、黙って小箱の灰に見入った。
「気持ち悪い?」
「ううん」 彼女は、首を振った。 「全然」
「最初は、こんな物、預かるのは嫌だったけど、こうして2人で見てると、
なんだか、気持ちが落ち着く...」
「わたしも」
「不思議だね?」
すでに日は沈み、あたりは暗くなりかけていた。白樺の神社らしい人が、石段を
登ってきたので、僕たちは「こんばんは~」と挨拶をした。彼の方も太い声で、
「今晩は」と挨拶を返した...。
「何をしてるの?」 彼は、にこにこしながらたずねた。
「ええ、ちょっと」 と、僕は答えた。
「蓋をしとけば?」 神主さんの姿が見えなくなってから、アキは言った...。
僕は、小箱にゴムバンドをかけて、ジャンバーのポケットにしまった。
彼女は、しばらくポケットの膨らみを見ていた。
それから、空を見上げて、
「もう星が出てる!」と言った。
「最近、星がきれいだと思わない?」
「フロンガスのせいだよ。
オゾン層が、破壊されているから、空気が薄くなって星が
よく見えるんだ」
「そうなの?」
しばらく、黙って、空を見ていた...。
「UFO 現れないね?」と、僕は言った...
アキは、ちょっと困ったように笑った。
「そろそろ帰ろうか?」
「うん」 彼女は小さくうなずいた。
空に残った最後の光が消えてしまう間際に、僕たちはキスをした。
目と目が合ったとき、見えない合意が成立して、気がついたら唇を合わせていた。
アキの唇は、落ち葉の匂いがした。それとも、あれは神主さんが、神社の庭で
落ち葉を焼いたときの、匂いだったのだろうか?
彼女は、ポケットの上から小箱に手を触れ、
改めて、唇を強く押し付けてきた。
また、落ち葉の匂いが、強くなった...。
備考:この内容は、
2004-6-20
発行:小学館
著者:片山恭一
「世界の中心で、愛をさけぶ」
より紹介しました。