その湖は、北の国にあった。広さは、それほどでもないが、
たいへん深かった。しかし、今は冬で、厚く氷が張っていた。
エス氏は、休日を楽しむため、ここへやってきた。そして、湖の氷に小さな丸いANAを
開けた。そこから糸をたらして、魚を釣ろうと言うのだった。だが、
なかなか魚が、かからない。
「面白くないな。何でもいいから、引っかかってくれ」
こうつぶやいて、どんどん釣り糸を降ろしていると、
なにか、手応えがあった。
「しかし、魚ではないようだ。何だろう?」
引っ張り上げてみると、古いツボのようなものが、針に引っかかっていた。
「こんなものでは、しょうがないな。捨てるのも、しゃくだが、古道具屋へ持って
行っても、そう高くは、買ってくれないだろう。1つ、中を調べてみるとするか?」
何気なくフタを取ると、黒っぽい煙が立ち上った。あわてて目を閉じ、
やがて、少しずつ目を開けると、ツボのそばに、見慣れぬ相手が立っている。
色の黒い小さな男で、耳が尖っていて、しっぽがあった。
「いったい、何者だ?」
エス氏が、不思議そうに聞くと、相手は、ニヤニヤ笑ったような顔で答えた。
「わたしは、悪魔」
「なるほど。本の絵にある悪魔も、そんなかっこうをしていたようだ。
しかし、本当にいるとは、思わなかったな」
「信じたくない人は、信じないでいればいい。だが、わたしはちゃんと、
ここにいる」
エス氏は、何度も目をこすり、気持ちを落ち着け、
おそるおそる質問した。
「何で、こんなところに、現れたのです?」
「そのツボに入り、湖の底で眠っていたのだ。そこを引っ張り上げられ、
おまえに、起こされたというわけだ。
さて、久しぶりに、何かするとしようか?」
「どんなことが、出来るのです?」
「なんでも出来る。何をやって見せようか?」
エス氏は、しばらく考え、こう申し出た。
「いかがでしょう。 わたしにお金を、お与え下さいませんか?」
「何だ、そんなことか。わけはない。ほら」
悪魔は氷のANAに、ちょっと手を突っ込んだかと思うと、
1枚の金貨を差し出した。
あっけないほど簡単だった。
エス氏が、手にとって見ると、本物の金貨に間違いない。
「ありがとうございます。すばらしいお力です。
もっと、いただけませんでしょうか?」
「いいとも」
今度は、一握りの金貨だった。
「ついでですから、もう少し」
「欲張りなやつだ」
「何と言われても、こんな機会を逃せるものではありません。
お願いです」
エス氏は、何回もねばり、悪魔は、そのたびに金貨を出してくれた。
そのうち、積み上げられた金貨の光で、あたりは眩しいほどになった。
「まあ、これぐらいで、やめたらどうだ?」
と、悪魔は言ったが、エス氏は熱心に頼んだ。
こんなうまい話には、2度とお目にかかれないだろうと考えたからだ。
「そう、おっしゃらずに、もう少し。今度1回でけっこうです。
ですから、あと1回だけ」
悪魔はうなずき、また金貨を掴みだし、そばに置いた。
その時、不気味な音が響き始めた。
金貨の重みで、氷にヒビが入り始めたのだ。
そうと気づいて、エス氏は大急ぎで岸へと駆け出した。
やっとたどり着き、ほっとして振り返ってみると、
氷は大きな音を立てて割れ、金貨もツボも、甲高い声をを上げている悪魔も、
みんな湖の底へと消えてしまった...。
備考:この内容は、
令和3-4-30
発行(株)KADOKAWA
著者:星新一
「きまぐれロボット」
より紹介しました。