「太陽にほえろ!」の紹介... | Q太郎のブログ

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松田優作殉職 に対する画像結果

 

 

「太陽にほえろ!」

 

機関:1972(昭和47)年7月~1986(昭和61)年11月

 

曜日/時間:金曜/20:00~20:54(初期は 20:00~20:56)

 

主な出演:石原裕次郎、萩原健一、露口茂、下川辰平、竜雷太、小野寺昭など

 

 

 

【殉職シーンが伝説となった

常識破りの青春刑事ドラマ】

 

 

 

 その後の刑事ドラマに多大な影響を与えた作品、

 

それが『太陽にほえろ!』である。プロデューサーは

 

『青春とはなんだ』をはじめ、多くの青春ドラマを

 

当てていた岡田晋吉。長寿番組を作りたかった彼は、

 

「学園を舞台にした作品では1年毎に、衣替えをしなくては

 

ならない。でも、刑事の青春を描くドラマにすれば、

 

延々と続けられる」と構想。

 

 

 

 そこから、若い刑事の成長や

 

葛藤を主軸にした『太陽にほえろ!』が誕生する。

 

そう、警察物らしからぬ、タイトルが示す通り、

 

本作のコンセプトは

 

”青春刑事ドラマ”だったのである。

 

 

 

 

 

 

 

太陽にほえろ に対する画像結果

 

 

 

 番組の開始は1972(昭和47)年。新宿の七曲署を

 

舞台に、捜査一係の活躍を描いた本作は、事件や犯人を

 

中心にした従来の刑事ドラマとは異なり、刑事を

 

主体にした画期的な作品だった。

 

 

 

 開始時のレギュラーは

 

6人で、個性の強い刑事たちをまとめる係長=ボスに

 

石原裕次郎、型破りな新米刑事・マカロニにショーケン

 

こと萩原健一。その2人の間に頭脳派の山さん

 

(露口茂)、人情味あふれる長さん(下川辰平)、熱血漢のゴリさん

 

(竜雷太)、スマートな殿下(小野寺昭)というベテラン・中堅

 

4人が配され、いずれかのキャラクターに視聴者が

 

興味を持てる構成となっていた。

 

 

 

 

 

 当時は、一家に1台しかテレビがない

 

時代。番組を長くもたせるには、家族で

 

楽しめる内容でなくてはならないと

 

考えた岡田は、2つの掟を作る。

 

 

 

 1つは、日常空間を舞台にした真昼のアクション

 

ドラマにすること。2つ目は、

 

セ○○スを描かないことであった。こうした

 

基本フォーマットのもとで、放送が始まった

 

本作には、視聴者の共感を集める

 

ための仕掛けが、もう1つあった。

 

ニックネームである。

 

 

 

「山村」の一部をもじった

 

「山さん」のような愛称はともかく、

 

大の大人たちが、「ボス」、「マカロニ」、

 

「殿下」と呼び合う刑事ドラマなど、

 

それまでは皆無。だが、そのユニークすぎる

 

ニックネームも、回を重ねるにつれ、

 

各刑事の個性を示す呼び名として

 

広く親しまれていく・・・。

 

 

 

 

 

 

太陽にほえろ に対する画像結果

 

 

 画期的だったのは、それだけではない。

 

ドラマを盛り上げるために欠かせない

 

音楽、いわゆる劇伴にバンド

 

サウンドを、導入したのも

 

本作が草分け。

 

 

 

 当時の劇伴は、オーケストラサウンドが

 

主流だったが、本作では、

 

グループサウンズ出身の

 

井上堯之バンドが演奏を

 

担当し、作曲には、萩原の推薦で、同バンドの一員だった

 

大野克夫が起用された。

 

 

 

 

 あまりにも有名なオープニング

 

テーマは、萩原が大野に、「ヴァニラ・ファッジの

 

『キープ・ミー・ハンギング・オン」のような曲を書いて

 

ほしい」と依頼したことから誕生。キャッチーなメロディと

 

躍動感に満ちたサウンドは、若手刑事の疾走シーンに

 

もマッチし、オリコン集計で13万枚という、インストゥルメンタル盤

 

としては、破格のヒットを記録する。

 

 

 

 そして、もう1つ、『太陽にほえろ!』を語る上で、忘れては

 

ならないのが、殉職シーンだ。

 

 

 

 きっかけは、1年で番組を降板

 

したいと申し出た萩原のアイデアだったが、放送後に

 

ファンによる葬式が行われるほどの反響があった

 

ことから、その後は、イベント化。

 

 

 

 ときに助命嘆願が○到するほどの

 

番組名物となる。ちなみに、2代目新人

 

刑事ジーパン(松田優作)が殉職時に発した

 

「なんじゃ、こりゃ~!」は、

 

松田のアドリブだった。

 

 

 

 あまりのインパクトで、今なお、

 

パロディの対象になるほど、

 

ドラマ史に残る名場面として

 

語り継がれている。

 

 

 

 

 

 

 

太陽にほえろ に対する画像結果

 

 

 

 キャスト交代によるマンネリ防止という

 

効果も生んだ殉職劇は、そのたびに高視聴率を獲得。

 

ジーパンのときが32.1%、テキサス(勝野洋)

 

が37%、ボン(宮内淳)が35.9%、殿下が30.4%と

 

いう驚異的な数字を記録したことで、ほかの刑事ドラマも

 

その手法を取り入れるようになる。

 

 

 

 1986(昭和61)年までの14年間で、全718話が

 

放送された『太陽にほえろ!』の平均視聴率は、

 

22.9%。最高視聴率は、スニーカー(山下真二)が登場した

 

1979(昭和54)年7月20日放送回の40%

 

だった・・・。

 

 

 

 

 

備考:この内容は、

2022-1-25

発行:辰巳出版

「日本懐かしテレビ大全」

より紹介しました。