「書類は、ごらんになりましたでしょうか?」
「ああ、持っていってくれ」
「はい。それから、定期的な装置の点検に、お立ち会いになる時刻でございます」
と、秘書は壁の時計を指差してうながした。
「ああ、そうだったかな?」
博士は立ち上がり、部屋を出て、その仕事に向かった。タイムマシンを格納して
ある部屋を係員とともに巡回する。マシンは何種類もある。何人も乗れる観光用の
大型のタイプから、歴史研究用の小型のものまで揃っている。博士は順次に片付けていった。
自分で作った装置だから、手慣れた仕事だ。それに係員たちが絶えず調べていて、
少しでもおかしいと、慎重を機して、すぐ新品と交換してもいる。博士にとっては
頭を使わなくてもいい仕事だ。
「SFドラマ・タイムレス」
形式的に立ち会いながら、頭はべつなことを考えることが出来た。つまり、過去の自分を
○したら、どうなるのか? あまり度々考えたせいか、今日は特に、その衝動が
強かった。心の内部で、そそのかす声がする。「やってみたらどうなのだ!?」
やってみるとするかな? 最後に小型マシンの点検を済ませた時、エヌ博士は自分でも
そう思った。そして、思った途端、たちまち実行を決心していた。これは賭事を
やっているせいかもしれない。賭事をしていなかったら、一応、ゆっくり検討
しなおしてから、思いとどまったかもしれない。
決心と同時に、ドアを内側から閉めていた。外でザワザワと声がする。係員たちが
驚きあわてているのだろう。だが、博士は答えなかった。
ボタンを押し、ダイヤルを回した。構造が、どうなっているのかは知らなくても、
操作法は知っていた。マシンは動き始め、博士は、次に暗示装置の作用を停止させた。
普通の人には絶対に手に負えないものだが、そこは発明者。覆いをはずす鍵も持って
いるし、どの回路を、どうすれば作用を失うかも知っている。すべては、手際よく
行われ、これで、強力な心理的な支配から開放された。
「SFドラマ・スターゲイト」
あとは、実行にかかるばかり。博士は装置の中から拳銃を取り出した。ありえない
ことだが、装置に故障がおこり、乗客が反乱をおこして、過去の変更を要求するという
非常事態に備えて、高性能の拳銃が隠されてあるのだ。この場合、操縦者は、
皆を射○することになっている。
エヌ博士は、どの時点に行こうかと考え、記憶をたどった。そして、かつてタイム・
マシンで、自己の青年時代を観察したことを思い出した。青年時代のエヌ博士は、よく
夜の野原を1人で散歩した。前回は、それを物陰から眺めるだけで引き上げて
しまった。今も、そのころの、その場面の、その場所に行けばいいだろう。だが、今回は、観察だけ
では満足しない。拳銃を発射してみるのだ。
博士は、マシンを止めた。外へ出ると、暗い夜だった。青年時代の思い出が
蘇り、散歩の道順まで鮮やかに頭に浮かんできた。彼は待ち構え、ついに、
その時がきた。
「SFドラマ・タイムトンネル」
間違いなく、過去の自分だ。独特の歩き方を見てもわかる。エヌ博士はそっと、
狙いをつけた。妙な気分になった。どんな結果が発生するのだろう? 自分の過去には
射○された経験はない。とすると、引き金が引けないのだろうか?
この想像は、不愉快だった。なぜなら、過去が変えられないとすれば、自分が苦心
して完成させた装置の意味がないことになるではないか。耐えられぬことだ。それとも、
別な次元の世界に戻ることになるのだろうか? だが、それはどんな世界なのだ・・・?
またも袋小路に迷い込むのを、博士は決心の確認で追い払った。好奇心と解答への
欲求が高まってきた。対象が他人でないため、良心の痛みはまったくなかった。
博士は、ためらうことなくい引き金を引いていた。もちろん銃は火を噴いた。高性能の
弾丸のため、1発で充分なのだが、彼は、念を入れて、ありったけの弾丸を発射しつくした。
相手は倒れ、○は確かめるまでもない。また、そばへ寄って自分の○を調べるのも、
ちょっと、気が進まなかった・・・。
備考:この内容は、
平成7-9-1
発行:(株)新潮社
著者:星新一
「天国からの道・禁断の実験」
より紹介しました。