私には、娘が1人います。元夫とは娘を産んでから まもなく離婚
したため、ずっと母ひとり 子ひとりで生きてきました。そんな娘は
1995年に国際結婚をして、3人の子どもたちと旦那さんと
ロンドンに暮らしています。
私が、若かった頃は、まだ離婚している人も少なかったですし、
シングルマザーは、良く思われない時代でした。お金にも苦労しました。
30代のあの頃は、私の人生の中で、一番 辛い時期だったかもしれません。
それでも、”娘にはみっともない格好は、させたくない” というのが
母親の気持ちです。両親が揃っていれば、ちょっと破けている
ような洋服を着ていても変じゃない。でも、母子家庭だからこそ
”普通の格好をさせなければ”と、常に思っていました。娘に対して、
父親がいない淋しさを、感じさせたくない気持ちも強かったです。
だから習い事も、やらせていました。立ち振る舞いや、お行儀も
教えていただけるんじゃないかと思って、日本舞踊を習わせて
いましたね。区民会館みたいなところで
ですが。浴衣ざらいまでやったかな。あと和太鼓も習わせていました。
娘が幼い頃は、娘を他人に預けたくなくて、麻布十番で喫茶店を
やっていた姉のところで働きながら、娘の送り迎えからすべて、
自分の手でやりました。再婚の話もあったけれど、娘が多感な時期
だったのでやめたこともあります。とにかく、”娘第一” で毎日必○、
そんな日々でした・・・。
幼い頃は素直だった娘も、中学生になると、だんだん言うことを
聞かなくなってきて、買い物へ行っても、親が選ぶものと娘が好きな
ものは違うから、よくケンカをしましたね(笑)。
娘が留学したのは24歳の時。ずっと貯めていたお年玉と、バイトの
お金を用意して、
「これで、ロンドンへ留学させてくれ」
「どうしても行きたい」
と言うので、私は、反対できませんでした。だって自分の
お金で行きたいって言うんですから・・・。
最初は、半年間の留学の予定でしたが、ロンドンが気に入り、
最終的にカレッジを卒業し、向こうで就職してしまいました。やがて、
旦那さんと出会って国際結婚したと言うわけです。
娘が初めてトンドンへ発った日、成田まで送りに言って、
泣きながら帰ってきたのを、今でも鮮明に覚えています・・・。
淋しいとは思いましたが、でも、もう仕方がないわね、行っちゃっ
たし(笑)。帰ってきた時に「行かないで」なんて言うことも
なかったです。まあ、言ったとしても聞かないわよね(笑)。ひとり娘
だから、そばに置きたいという気持ちも、もちろんありましたが、こんなに
遠くへ行っちゃったら、手が届かなすぎて・・・、もう「さみしい
けど応援するね」というスタンスになりますよ。
国際電話が高い時代は、電話する前に手紙を書きました。ペラペラの
封書に「何日の何時ごろに電話するね」と一言添えて。そうやって
時間を合わせて話をしていました。そうじゃないと、ものすごく
高額な請求書が電話会社から来ますから、昔は、そうやって連絡を
取っていたのです。
以前は、1、2年に1回は、ロンドンに行って、3ケ月ぐらい滞在して
いました。一昨年は、娘が日本へ来るはずでしたが、コロナで
来られなくなってしまって、もうかれこれ 2年くらい会えていません。
それでも今は、毎日 夕飯時にLINE(ライン)電話が来ます。
たいがい、私が晩酌している時。ロンドンは、朝の10時ぐらいでしょうか?
たわいもない話をするだけですが、私にとっては、かけがえのない
時間です・・・。
時々、思うんです。このぐらい距離が離れているからこそ、
親子関係がうまくいくのかもしれないと。
近ければいいわけじゃない。
そんな気もする 今日この頃です・・・。
備考:この内容は、
2022-10-25
発行:(株)宝島社
著者:大崎博子
「89歳、ひとり暮らし。
お金がなくても
幸せな日々の作り方」
より紹介しました。