【深夜になると カツンカツンと、
階段を上がる足音がする、
それを聞いている 1人住まいの女・・・】
私は、引っ越したときから気になっていた。私の部屋は、マンションの北東の角に
ある。エレベーターを4階で降りて、左手に曲がって真っ直ぐ行くと、一番奥の408号が
私の部屋だ。
廊下の先は非常口で、その向こうには鉄製の階段がある。つまり、
私の部屋は、外壁を隔てて、非常階段とピッタリ、くっついている建築だ。
その階段が私には、大変に気に入らなかった。マンションの北側と、西側が道路に
なっているとは言え、朝日の入る東側に階段があるのだ。キッチンの小窓を開けると、
茶色い鉄の階段が目の前にある。無神経な設計だ。そのためだろうか? 周辺の
家賃相場からすると、随分と格安な部屋ではあった。私は、交通の便利さと、
懐具合を算段して、妥協の上で、よしと決めたのだった・・・。
ところが、私は、引っ越ししたその夜から、非常階段に音を聞いた。
カツン、カツン、カツン・・・。
確かに下から上へ昇ってくる足音だ。そして、私の4階のところで、ピタリと
止まる。ところが、非常口のドアを開け閉めする様子が無いのだ。非常口は
施錠されてはいない。それは、引っ越しの日に、管理人から言い渡されていた。
マンションは6階建てだ。しかし、上へ昇っていく足音は、いつまでたっても
聴こえない。もちろん、下へ降りる音もしない。不思議だった。
その音は、翌晩も、翌々晩も、という具合に続いた。それが、毎夜、私が寝支度を
する 12:15 過ぎだということに気づいた。
私は、今日こそ、その正体を知ろうと、寝支度をせずに、待ち構えていた。
カツン、カツン、カツン・・・。
12:15 を過ぎたとき、例の音が響いてきた。私は、部屋の玄関をそっと出て、
非常口の前に待ち構えた。
カツン。
音が止まった。その瞬間、私は非常口の扉を、そっと開けた。
「あっ!」
私は、声を上げた。誰の姿も見えない。
私は、そのまま、非常口の扉を開けきって、踊り場に出た。
音を立てないようにして、5階の方へ上がったのだろうか? 私は、調べてみようと
して、昇り階段を一歩 昇ったときだ。
二歩目の左足が、踏み出せない。よろけそうになった私は、かろうじて手擦りに
よりかかり、態勢を整えようと、左の足元を見た。
「うわぁ!」
私は、叫び声を上げた。
白い手だ。白い手が、上り階段の1段目と2段目から突き出ていて、私の左足首を
押さえている。
「ひ~っ」
私は、足に力を入れて、その手を振り解こうとしたときだ。その白い手は、
スッと消えた。
一目散に、私は部屋に戻り、今、見たことを思い起こした。
たしかに手だった・・・。
翌日は、深夜の12時過ぎだった。今度は、ガチャっと、非常口の扉の開く音がした。
カツ、カツ、ドシン、ドシン。カン、カン・・・。
今度は、音が大きい。私は、キッチンの小窓のところに スッとよりそった。
窓の向こうから、ひそひそ話す声がした.私は、小窓を細めに開けた。
「う・・・」
目の前に、白い女の足があった。私はあわてて、小窓を元通りに閉めた。
まだ、話し声が、ひそひそとしているようだ。
私は、勇気を奮い起こして、ガラリと小窓を開けた。
「キャッ」女の叫び声がした。
「なんだ、根本さん。起きていたんですか?」
踊り場の方を覗き込んでみると、管理人の男がいた。
「いったい、こんな夜中に、どうしたんですか!?」
私は、部屋を出て、非常階段のところへ行った。
管理人と話をしていた女性は、若くて小柄で、大きな花束を持っていた。
「見つかったんじゃあ、しょうがありませんな・・・」
相手の女性は、この下の階に、むかし住んでいた女性の妹だという。308号室に
住んでいた女性は、失恋がもとで、階段を駆け上がり、この階から飛び降り自○
したのだった・・・。
「3年も前のことですよ。今日が、命日なんでね。だからといって、このマンションで
変なことが起きるわけじゃないし、みなさんには秘密ですよ」
私は、管理人の言葉をさえぎり、
家賃を2万円 引き下げる交渉に入った・・・。
備考:この内容は、
1995-8-5
発行:KKベストセラーズ
編者:奥成達と
フランケンシュタインズ
中村恵
山口泰
高橋肇
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滝口千恵
松原秀行
「子どもの読めない童話」
より紹介しました。