ドラマ「傷だらけの天使」
期間:1974(昭和49)年10月~1975(昭和50)年3月
曜日/時間 土曜/22:00~22:55
主な出演 萩原健一、水谷豊、岸田今日子、岸田森、ホーン・ユキなど
【映像から感じる挫折の美学
まるで全26本の短編映画】
タイトルを観ただけ、「ア~ニキ~!」という
水谷豊(乾享)の声と、萩原健一(小暮修)が、ペントハウス
内で、口で牛乳ビンのフタを開け、コンビーフを
丸ごとほおばる、あのオープニングの映像、大野克夫作曲
によるロックな音楽が一緒に脳内再生される
圧倒的なイメージのテレビドラマ・・・いや、フィルム撮影
で制作された”テレビ映画”である。
深作欣二、工藤栄一、
恩田日出夫、神代辰巳といった映画監督も
起用した全26話は、1本、1本が、まるで短編映画だ。
修と享は、綾部貴子が経営する綾部情報社の調査員。
ちなみに、修が綾部のパパアと呼ぶ綾部貴子と
その部下?・辰巳吾郎を演じた岸田今日子と岸田森は、
いとこ同志の共演。修と享は依頼を全うするため
必○で探偵活動を行うが、結末は、アンハッピーエンド。
後年の再評価での言葉を用いると、「挫折の美学」だ。
その究極が最終回「祭りのあとにさすらいの日々を」
での享の○。ラストまで流れるディープ・平尾が
歌う『1人』と、薬を買えずに風邪をこじらせて○ぬ。
享の○とのシンクロがたまらない。
放送当時、本来は子どもが観る
時間帯の番組ではなかった。だが、
筆者が通った小学校では、マセた
放送係が、レコードを持ってきて昼の
校内放送で、テーマ曲をかけると、
教室では、修のマネをして給食の
牛乳やパン、おかずを片っ端から
口に入れていた友達がいた。
その後、夕方の時間帯で幾度と
なく再放送されたが、それが
なくなってから、1991(平成3)年にビデオ化される
までは、幻のドラマだった。
筆者が、発売元の社員と、
してビデオやLD-BOXの制作に関わった際、脚本家・
市川森一に伺った話によると、当時、日テレの
プロデューサー清水欣也、萩原健一と3人で、連日の
ように集まり、番組内容を話し合ったそうだ。
最初に撮ったのは、第7話の「自動車泥棒に
ラブソングを」。深夜に近い感覚だった時代の午後10時
放送なので、エログロやナンセンスを入れる
パイロット版として作ったという。監督は恩田日出夫で、
オープニング映像も、恩田の演出だった・・・。
備考:この内容は、
2022-1-25
発行:辰巳出版
「日本懐かしテレビ大全」
より紹介しました。