80年代映画とアメリカ... | Q太郎のブログ

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【80年代映画とアメリカ】 中垣恒太郎

 

 

80年代のアメリカ映画は輝いていた。

 

 

 ファミリー向けを含む、

 

多様な映画ジャンルがより一層発展し、

 

アメリカ文化の底力を感じさせる時代である。

 

 

 

 音楽にしても映画にしても、ヒットチャートや映画の興行

 

ランキングが、日本からは、憧れの対象として映っていた。

 

 

 

 その実、日本経済がバブルへと向かう好景気と

 

対照的にアメリカ経済は停滞し、日米貿易摩擦が問題

 

視され、国際情勢においても、冷戦期が続く中、○連の

 

軍事介入によって、アフ○ニスタン紛争が深刻化

 

するなど、政治経済の観点からは、アメリカの80年代は、

 

明るい時代とは 言い難い状況にあった・・・。

 

 

 

 ベ○ナム戦争の傷も癒えないまま、

 

自信を喪失している反動として 強いアメリカを

 

求める機運の高まりを、80年代アメリカ映画に

 

見出す事ができる・・・。

 

 

 

 

 

 80年代は、ロナルド・レーガンが大統領を務めた

 

2期8年間と、およそ符合する。役者としては、一流であったレーガンが

 

大統領にまで、上り詰めたことからも、アメリカン・ドリームを

 

体現した存在でもある。

 

 

 

 『バック・トゥ・ザ・フューチャー』(85年)でも、

 

55年にタイムスリップした際に、レーガンが大統領であるのならば、

 

「副大統領はジュリー・ルイスか?」と、

 

ギャグにされているほどだ。

 

 

 

 『パート 2』(89年)では、2015年の近未来で、

 

マーティは、”イトウ・フジツウ”なる人物にクビを宣告

 

される。日本の好景気が、その後も続いていたとする

 

近未来の世界では、上司が、日本人になっているかも

 

知れないという不安が投影されている。

 

 

 

 

 

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 『パート 1』の冒頭場面では、

 

後の伏線となるプルトニウム盗難事件を

 

報道するテレビニュースに混じって、TOYOTA自動車の

 

アメリカ進出が、好調な実績をあげていることが

 

伝えられる・・・。

 

 

 

 日本では、視聴者参加型のテレビ番組『アメリカ横断

 

ウルトラクイズ』(77~98年)にて、「ニューヨークに

 

行きたいか?」が、合言葉になっていたように、

 

アメリカは憧れの国であった。

 

 

 

 逆に、アメリカにおいては、

 

躍進する日本の影が様々に描きこまれている。

 

来るべき日本の躍進を捉えた『ブレードランナー』(82年)

 

では、日本のイメージが、近未来像に重ね合わされて

 

いる。同じリドリー・スコット監督の『ブラック・レイン』

 

(89年)にて、日本を舞台にした本格的な国際

 

アクション映画が、成立したことは、日米関係の変化を

 

象徴的に示している・・・。

 

 

 

 

 

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ベストキッド1 に対する画像結果

 

 

 

 他にも、カラテブームを反映した『ベスト・キッド』

 

(84年)シリーズ、特に『ベスト・キッド 2』(86年)

 

では、カラテの師匠とともに、アメリカの少年が、沖縄に

 

渡る・・・。

 

 

 

 アメリカ映画における日本表象は、その後も、

 

バブル景気を反映して、変容を遂げていく。オリエンタルな

 

異国情緒のイメージから、後の『ロスト・イン・

 

トランスレーション』(03年)に見られるように、

 

消費文化が高度に発展した 社会としての日本像へと

 

転換していく・・・。

 

 

 

 

 

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 80年代は、日本もアメリカも新人類、

 

ジェネレーションX、ベビーブーマー第2世代(団塊ジュニア)の

 

成長に合わせて、子どもを主人公にした映画、

 

ティーン向けジャンルが隆盛した。郊外に暮らす男の子と

 

異星人との交流を描くSFファンタジー物語

 

『E・T』(82年)、男の子たちの冒険物語『グーニーズ』(85年)、

 

不朽の名作『スタンド・バイ・ミー』(86年)

 

から、青春群像としての『アウトサイダー』(83年)や、

 

『セント・エルモス・ファイヤー』(85年)、さらに

 

ジョーン・ヒューズの『ブレック・ファスト・クラブ』(85年)

 

まで・・・。

 

 

 

 その中でも、教室にいる誰でも、その一日を

 

切り取って長編映画の題材に なりうることを示した、

 

ヒューズが作り上げた テイーン映画の新しいカタチは、

 

今日まで継承されている・・・。

 

 

 

 

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 また、スティーヴン・スピルバーグは、自信の監督作

 

のみならず、プロデュース業にも本格的に乗り出し、

 

アメリカ映画の傾向に多大な影響を及ぼしていく・・・。

 

 

 

 少年を主人公とする物語に加え、40歳になった

 

ピーター・パンを描く『フック』(91年)に結実されるように、

 

成熟を回避する「ピーターパン症候群」は、スピル

 

バーグ作品のみならず、アメリカの物語の特色を

 

成すようになる・・・。

 

 

 

 ”家族” は、アメリカの物語において 伝統的な主題で

 

あり続けているが、アカデミー賞作品受賞作

 

『普通の家族』(80年)は、一見、普通に映る家族が、

 

実は、内側で崩壊の危機を抱えていることを 象徴的に

 

示している。『BTTF』もまた、父性が機能していない

 

家族を再生する物語でもあった・・・。

 

 

 

 

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 マッキントッシュに代表されるパソコンの

 

普及が進み、メディア・テクノロジーの発展に

 

より、社会やライフスタイルが、どのように変容していくかも

 

主要な関心となった。『ウォー・ゲーム』(83年)は、

 

高校生の男の子が、ハッキングのよって○戦争

 

ゲームを楽しんでいたら、実は、アメリカ航空宇宙

 

防衛司令部のコンピューターにつながってしまい、危うく、

 

全面○戦争を引き起こしてしまうという サスペンス

 

映画である・・・。

 

 

 

 

 

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 カナダ映画となるが、デヴィッド・クローネン

 

バーグ監督『ヴィデオドローム』(83年)が示すように、

 

メディアの発展期に、人間の身体感覚までもが変容

 

してしまうのではないか? という不安が SFホラーとして

 

描かれている。

 

 

 

 ほか、『ターミネーター』(84年)、

 

『ロボコップ』(87年)などサイボーグを描くSF

 

アクション映画が大ヒットした。理想を託し、

 

未来を展望できる時代であった・・・。

 

 

 

 

 

 マイケル・ジャクソンのミュージック・クリップ

 

「スリラー」(83年)は、MTVの記念碑的作品であり、

 

『ナイト・オブ・リビングデッド』(68年)

 

『狼男アメリカン』(81年)をはじめとするホラー映画

 

ジャンルに対するオマージュを示しているが、

 

80年代は、ホラー映画の隆盛期でもある。

 

 

 

 

 

 

 

 

 ゾンビ・コメディ『バタリアン』(85年)、夢の中から

 

ティーンを襲う『エルム街の悪夢』(84年)、さらに心霊に

 

脅かされる家族を描く『ポルターガイスト』(82年)、

 

サイコパスに執拗に追われる『13日の金曜日』(80年)、

 

生生しい残○描写を特色とする スプラッター映画

 

『○霊のはらわた』(81年)、スティーブン・

 

キング原作によるモダン・ホラー『ペット・セメタリー』

 

(89年)など、多種多様なホラー映画が、主流に

 

躍り出た。『ゴースト・バスターズ』(84年)も、

 

こうした心霊ホラーの流行を下敷きにした

 

コメディ映画である・・・。

 

 

 

 

 

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 80年代後半は、多文化主義としてアメリカを問い直す

 

動きが進む。スピルバーグもまた、いち早く、黒人が

 

抑圧されてきた 歴史を描く文芸映画『カラーパープル』

 

(85年)に挑むが 酷評されてしまう。

 

 

 

 それでも、

 

音楽を「クインシー・ジョーンズ」が担当し、それまでは、

 

舞台女優であった「ウーピー・ゴールドバーグ」を、映画の

 

主役として、抜擢した功績は、見逃せない・・・。

 

 

 

 

 

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 ミュージシャンである、プリンスの自伝映画

 

『プリンス/パープル・レイン』(84年)が、示すように80年代は、

 

ブラック・ミュージックの発展期でもあるが、

 

ブラック・ムービー(黒人映画)においても転換期

 

となる。

 

 

 

 NYブルックリンで、マイノリティとして暮らす

 

人種間の緊張を描いた、スパイク・リー監督

 

『ドゥ・ザ・ライト・シング』(89年)は、その代表作

 

となる。

 

 

 

 黒人監督作品ではないが、黒人部隊を

 

描いた戦争映画『グローリー』(89年)にて、

 

デンゼル・ワシントンがアカデミー賞助演男優賞を受賞し、

 

最も成功を収めた黒人の映画俳優として称えられる

 

”エディ・マーフィ” 主演によるアクション・コメディ

 

映画『ビバリーヒルズ・コップ』(84年)シリーズも

 

大ヒットした・・・。

 

 

 

 ジェンダーの観点に目を向けるならば、女性の

 

社会進出のテーマをロマンティック・コメディに絡めて

 

描く『ワーキング・ガール』(88年)は、女性同士の

 

対立の構図となってしまっているものの、努力し

 

続けるヒロインが成功のチャンスをつかむシンデレラ・

 

ストーリーの中に、当時の女性を取り巻く苦境が

 

描きこまれている・・・。

 

 

 

 

 

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 輝いて見えた80年代のアメリカ映画であるが、

 

冷戦構造や日本の好景気といった国際情勢の中で、

 

その実態は、強いアメリカ像の模索期であった。

 

 

 

 若者世代の人工増と、メディア・

 

テクノロジーの発展により

 

大衆文化が成熟した時代であり、とりわけ、80年代

 

アメリカ映画は、活況を呈した・・・。

 

 

 

 その後、90年代以降のアメリカ映画は、多様化と

 

細分化が進む中で、奴隷制度などアメリカの負の歴史を

 

捉え直す作品が多く表れるようになる。

 

 

 

 良くも悪くも、

 

アメリカ映画が「無邪気」でいられた時代の

 

 

輝きが80年代映画を 懐かしく感じさせるのだ・・・。

 

 

 

 

 

 

 

 

備考:この内容は、

2022-3-19

発行:(株)三栄

著者:中垣恒太郎

「80's 映画大解剖」

より紹介しました...。