私が中学卒業を控えた時、珍しく早い時間に
家にいたあの人が、私の目の前に
立ちはだかって、こう言った。
「中学に入ったからといって、ボーイフレンドとか、
なんとか言って、男と腕を組んで歩いたり
したら、ぶっ○すからな・・・」
激しい口調だった。
あの時のあの人の目、娘を見る父親の目では
なかった。娘を娘としてではなく、
自分の所有している女を見るときのような動物的な
目だった。実の娘に注がれた
不潔な視線は、私を父から隔絶した・・・。
私があの人を嫌悪し始めたのは、あの時から
だったのではないかと思う。
仮定、結論、証明という論法で言えば、
父に対する結論は、あの時すでに出ていて、
今の今まで嫌悪に対する証明を、
していただけなのかもしれない・・・。
私は、あの人を愛してはいない。求めてもいない。
他人は、娘として冷淡過ぎると言うかも知れない。
事実、何人かの人は、面と向かって私にそう言った。
仕事をし始めての1年間、私は、下宿生活をしていた。
高校へ入る頃になって、母たちも横須賀から
東京へ出てこられることになった。
私達は、目黒にあるマンションの一室を借りた。
ようやく家の中のことや、学校のことが落ち着いた頃、
夏に入る少し前だった。
夜半、隣室で鳴り響いている電話の音で目が覚めた。
耳を澄ましている私に聞こえてくる声は、言葉にしては
聞き取りにくかった・・・。
暗い部屋のふすまが開かれ、
隣室の蛍光灯の異様なほどの明るさが、
目に飛び込んできた・・・。
・・・父が危篤。
突然の知らせに戸惑っている私を背に、
母は、テキパキと身支度を済ませ、
「制服を着て待っていなさい」
と、言い残して出かけて行った・・・。
母が出かけて、1時間半くらいが過ぎ、
私と妹は電話で呼ばれ、言われた通り
制服を着て眠い目をこすりながら、
足利の病院へ向かった。
病室は、ものものしかった・・・。
窓際のベッドに、あの人は
横たわっていた。脳溢血で倒れた人の、
ほとんどがその症状を見せるという
「いびき」とも唸り声ともつかないような
異様な音を発している。
入れ替わり立ち代わり出入りする看護婦、
あの人の左側で座ったままの医者、
そして、その人を心配そうに見つめる母の白い表情。
地の底から響いて来るような、
あのひとの「いびき」を聞きながら、私は、
「ああ、この人は○なないな」と、
直感していた・・・。
ここへ来るまでの道すがら、
私は○に直面しているあの人を見たら、
取り乱すに違いない、
娘として、父親の○を見届けなければ
ならない立場に立たされたら、
泣き叫び、「○なないで」と哀願して
しまうのではないだろうか?
と思っていた・・・。
しかし、病室に一歩踏み込んだ私の頬には、
一滴の涙も流れなかった。
○なないでと願うこと
すら忘れていた。ただ、私の後ろに立っていた妹に、
この人の、この醜い姿を
見せたくないと、ただ、それだけを考えていた・・・。
駆け寄るわけでもなく、立ち尽くしている私を見て、
同行した会社の人が言った。
「おまえは、冷たいな」
その人も人の親である。息子2人の父である。
だから、我が身とあの人を、
いつしかオーバーラップさせて
しまったのだろう。
けれど、私は、「冷たい」と言われた
その当然過ぎる一言に傷つき、
それからしばらくの間、
自分の中の冷たさを
分析しては悩んでいた・・・。
備考:この内容は、
昭和58-12-28
発行:(株)集英社
著者:山口百恵
「蒼い時」
より紹介しました・・・。