「神戸・福原遊郭」
私の住んでいる場所(いま、こうやって書いているところ)は、
神戸の下町である。
神戸ったって、ハイカラでモダンな所ばかりとは
限らない。この辺みたいな、
がらがらした下町もあるのである。
うちの前をストンと南行る(さがる)と、
(神戸では、浜へ向けて南へ行くことをサガル、と言う)、かの
有名なる福原遊郭の、ど真ん中の柳筋になる。故に、
わが住む町は、夜中まで嫖客の足音が耐えぬ、
パトカーのサイレンが鳴る、H会や、Y組のチ○ピラが、
裏のアパートでケンカする、福原の
三流バーのホステスが買い物籠を下げて、うろうろしていて、
長雨になると沖沖仕のおっさんが
仕方なく、朝から酒を食らって歌っている声が聞こえる、
そういうところで、角っこに清元温泉が
ある。大将が清元が好きなのか? はたまた、
元来そういう名前なのか? ともかく、そういう風呂屋
(銭湯)がある。
だいたい、この町は気風闊達と見えて、風呂屋へ行くのに、
男は夏はステテコ一丁、冬は
パジャマ、あるいは寝間着にチャンチャンコ、
というふうていであるのだ。帰りに寝間着を着るなら、
さもありなん。だが、行きにすでに寝間着を着て
ゆくのだから、この町の住民が、いかにものに
とらわれない生き方をしているか知れるというもの・・・。
「清元温泉」
家の前、清元温泉を東に行くと、湊川神社になって、
要するに、我々は、湊川神社の氏子と
言うべきなのだ。誠忠無比の忠臣の余香を拝する地域に住んで、
寝間着で風呂へ行くというのは、
申しわけ無いようであるが、楠公サンというのは、
神戸市民にとっては及びもつかないこわい
神様ではなく、大変親しみのある人なので、
住民もその親しさに狎れて(なれて)、
楠公の思惑を意に介してる風はない。湊川(つまりこの町内のごく近く)、
は楠公サンが戦○した場所
なのである。
ところで、風呂の中で大勢の女が入って、
何の話をしているのかと、男は思うだろうが、
男の思うほどの話は出ないものである。
例えば、清元温泉でなくて、ほんとの湯治場の温泉へ行くと
する。かなりリラックスしていても、男ほどのことはない。
男はうちつれて温泉なんかへ行くと
する。そしてまた、うちつれて風呂なんかへ入ると、
もう、何をしてるか、わかりはしない。
何の話をしているか、神のみぞ知る、である。立派な紳士
(彼は、すぐれた音楽科でした)が
風呂の中で同行の紳士たちと何かのコンクールをして
(何なのか知りません)熱中のあまり、湯船へボチャンと
落ちた。なんてことを話すのを聞くと、羨ましいくらいのもの。
女は、裸になっても、そんなあけすけなことはなく、
気取っている。同性同士でも気取って
いる。いや、同性だから、よけい気取ってるのかもしらん。
ちょこちょこっと、うまく隠して洗い、
相手より1秒でも早く、湯船に飛び込もうとしたりする。
相手も、湯船からしげしげ観察されたり
しては叶わないので、負けずに飛び込む。そうして、
上がる時は、申し合わせたようにサッと同時に
上がってあわてふためいて拭き回して、吹き出る汗を
拭いもあえず、スリップに頭を突っこん
だりしている。
別に見せたってちびるもんでもないのに、
同性に見せ惜しむ。その割に電光
石火の一べつを投げあって、
(だいぶん下腹が出てるわ)とか、
(案外、しなびてるじゃない)
などと、ぬからず要所要所を看破してるらしい。
そういう、隠し回ってるところから、たいした話は
出るはずないが、
どうも、それは、女の習性
みたいなもので、私は女が隠したり、ウソをついたりの
元凶は、月々のちょっとした例のアレ
から来ていると思う。
「いいですか? 決して人に気取らせてはいけませんよ。
何でも無いように身じまいよくして、
お便所を出るときも汚していないか、よく気をつけて、
スカートにも汚れはないか、気を配って」
と、母親や、女教師から何食わぬ顔をしつけられる。
女は図太く、モノを隠すように、隠すように
しつけられて、神秘めかくし大きくなってゆく。
同輩うちつれて風呂へ入り
何かのコンクールをして、熱中して湯船へ落ちるなんて、
朗々たることができようはずはないのである。
何となくウサンくさい、ウソつきの、隠したがりに
育っちまうのである。
だから、初○体験なんかでも、ほんとのことを話している人、
あるのかなぁ?
と私は疑問に思う。
男の話を聞いていると、彼らは、それまでの人生で、
たいてい1つ、2つの曲がり角というか、
ムスビ目のコブを持っている。戦中派だと、例えば、
敗戦のショックとか、学生運動の挫折、
なんてことを言う。
しかし、女には、そんなものがない。
男は、ムスビ目がある感じで、女はそれがなく、
ツルンとしている。
そこが不思議、中には、戦中派の女や、戦後派の女、
たまに男と同じことを言いたてる人もある
が、少なくとも見た感じは、男ほどでは無いみたい。
女の、そういうムスビ目は 何だろう?
と小松左京氏に言ったら、彼はさも嬉しそうに、
「そら初○体験やんか」
と答えていた。しかし、思うに、女にとっては、
それもムスビ目になり得ないことが多い
んじゃないか。小松ちゃんに限らず男はみな、そう言いたがる
ようだけど、どうかなぁ?
それより、女は、実際の体験よりも、そういう知識を
仕入れた時のほうが、ショックが
大きくて、ムスビ目になっているのかもしれない。
どんなにおぼこなお嬢さんでも、もう私たちの
時代から、知識のほうが、実際体験より先行していた。
そう言うことは、どの女の人だって、
あると思う。本で読んだり、友人がしゃべったり、
ということがあるでしょう・・・。
私のときは、旧制高等女学校3年生でした。仲のいい、
ちょっとヌケた親友が、近所のおばさん
から、その知識を仕入れてきた。
みんな一緒のところでは言いたくない、と彼女が言うので、
4、5人でジャンケンして、順番を決めて1人ずつ、耳打ちしてもらった。
その時の私の感想を言うと、長年の疑問、一時に氷解、と言う ていであった。
「楠木正成 像」
それでもまだ 63% ぐらいは、USOだと思っていた。
なぜなら、戦時下の女校生として、私は、尊崇の
まことであった忠臣・楠木正成まで、そんなことをしたとは、
絶対に信じられなかったからである。
「そら、マサシゲさんかてしたはるわ。マサツラはんがいてはるもん」
と友人は断定した。
今、正成さんの氏子になって私、感無量である・・・。
備考:この内容は、
1983-1-25
発行:文藝春秋
著者:田辺聖子
「女の長風呂」
より紹介しました。