【母の反撃】
僕は、あまりにも独善的な、ご都合主義だったのかも
しれない。自他ともに認める、わがままな僕が、自分の身勝手さ
を、反省するに至ったのは、不用意な一言から起こった家庭
内での、事件がきっかけだった。
ずっと、専業主婦だった母は、この春からパートに出る
ようになった。朝8時前に出勤する早番の日と、帰宅が夜の
7時半を過ぎる遅番の日が、週に1度ずつある。その日、
夜の7時半に帰宅した母に対して僕は、
「今日の夕飯は何?」
と聞いた。
それも、ゲームをしていた僕は、母の顔も見ずに、
背中超しに言ったのだ。母が、何の返事も
しないので、聞こえなかったのだと思い、もう1度、
同じ言葉を投げかけたが、全く無視された。
なぜ?母の
機嫌が悪いのか、心当たりのない僕は、兄たちに、そのことを話してみた。
「ふ~ん・・・」
と言っただけ。ゲームをしていた次兄も、
「そうか、機嫌が悪いのか?」
と、気に止める風でもない。
その日の夕食時、父と僕たち兄弟3人が、食べながら、
テレビに夢中になっていると、
母がなにやら独り言を、
言っているのに気づいた。それは、まるで、ぶつぶつと、
呪文を唱えているかのようであった。
「お母さんはさ、どうせ、たかが3~4時間のパートに行ってるだけだけど、
毎朝、お弁当を3つ作って、朝食を出した
ら片付けて、洗濯も、掃除も、夕食の支度も、何1つ変わらず、
当たり前に負担してるわけよね。日曜日なんて、
ただ、名前が変わっただけで、何の意味も無いのよ。お父さんは、
日曜日は休日で、子どもたちも、土・日は休日
で、好きなことをしてるのに、お母さんが帰ってきても、夕ごはんの心配
しかしないのよね。お母さんは、みんなのご飯係なわけ?」
そう言って、母は、大きなため息で、話をやめた。テレビから目を
話さずに、長兄は言った。
「共働きの家は、どこでも、そうなんじゃないんかい? そういうの
が、母親だよ」
翌日、テーブルの上には、冷めた朝ごはんが、並んでいた。我が家
の朝食は、それぞれが、出かける時刻を考えて食べるので、家族
全員が、そろうことはなく、リレー方式で、食卓につく。父、次兄、僕、
長兄、母の順に、朝食を取るが、母は、そのたびに調理していたので、
熱いものは、熱い状態で食べるのが、当たり前だった。
しかし、その日の朝は、
冷めた朝食が、僕たち男3人
を、あざ笑うかのように、食卓に並んでいた。
どうやら、母は、反撃に出たらしい。
”当たり前” 温かいご飯も、「いってらっしゃい。気をつけて」の言葉も、
汚れた服の洗濯も、部屋の
掃除も、布団干しも、風呂掃除も、食器を洗うのも、塾の送迎も・・・。
これらが、全部当たり前だとしたら、
母は、一体、いくつの当たり前を、背負っていたのだろうか?
次の日曜日。母は、風呂掃除をしていて、足を滑らせ浴槽に落下、
朝から左腕を、打撲してしまった。その
アザになった腕に、シップを貼って、食器洗いに取り掛かる。
すると、悪いことは、重なるもので、今度は、炊事用
のゴム手袋に、潜んでいた、ムカデに指を刺されるというアクシデント
に見舞われた。
刺された指先に薬を縫って、給食の白衣
にアイロンがけをすれば、アイロンが倒れて手首をやけど。
それでも、母は、次々と家事をこなして行く。いつもなら、
「ドジだなぁ・・・」
と、笑い飛ばすところだけれど、僕は、掛ける言葉が見つからず、
台所に、標本のように置かれたままの、ムカデの○骸を見ていた。
僕は、僕なりに反省していたが、父も母の反撃を受けて以来、
考えを巡らしていたらしい。ある日、父は、僕たち3人を
集めて提案をした。
母にだけ、家事を押し付けるのではなく、皆で
協力しよう、という提案であった。朝、風呂に入る兄2人は、
風呂掃除を、父は食事の後の、後片付けを、僕には、風呂を沸かすと
いう役割が与えられた。
そして、全員が、自分の洗濯物は、
自分でたたみ、収納することになった。これで、少しは、
母の”当たり前”が、軽くなっただろうか?
家族が、協力しあってこそ、
みんなが、気持ちよく生活できることに、
僕たちは、やっと気づいたのだった。僕は、僕の当たり前を、
背負う覚悟を決めた。
もう、母親が、家事をやるのは当たり前、などと思って
はいない。男も女もなく、家族の、それぞれが、出来ること
を行い、感謝の気持ちを忘れずに生活したい。そして、
母が、仕事から帰ってきた時は、気持ちよく大きな声で、
「おかえりなさい!」
と、言葉をかけた挙げたい。たとえ、どんなに腹ペコで、
母が作る美味しい、夕ご飯が、気にかかっていても、だ・・・。
〈「第26回全国中学生人権作文コンテスト入賞作文集」
(周東穀作・法務省人権擁護局)による〉
備考:この内容は、
2015年
印刷:図書印刷株式会社
編集:○△県小中学校校長会
発行:♧♤県教育振興会
「道徳 明るい人生 2年」
より紹介しました。