生きる 464話 第62回 PHP賞受賞作
「子どもに見せてやれ」 石川和巳(埼玉県草加市・無職・64歳)
子供の頃、わたしは体が弱く、運動も苦手
でした。食べきれない給食が、5時間目まで
机の上にあり、体育の時間も見学ばかりする
ような子供でした・・・。
それでも、成長とともに、体が丈夫になり、
運動できる喜びや、スポーツの楽しさも少しずつ
わかってきました。
やがて私は、小学校の教師になりました。
体の弱かった子供の頃を取り戻すかの
ように、若さと体力で、子供たちに全力で
ぶつかっていきました。
そんな私に、「だからといって、忘れるな。
体の弱い自分がいたからこそ、運動の苦手な
子、体育が嫌いな子の気持ちもわかるはずだ。
それは、お前にしかできないことだ」と
言ってくれた人が来ました。
うわついた私に釘を刺し、何かとめんどう
を見てくれたのは、各校の体育主任の集まる
場で会った、S先輩でした。
それから、子供の健康や体力が、教師と
しての私の大きなテーマになりました。
たくさんの仲間たちと、切磋琢磨しながら、
体育の授業づくり、子どもたちのスポーツ
大会の運営などに没頭していきました。
のちに校長となり、一校を任されるように
なってからも、「元気な子」が、学校づくりの
土台でした。休み時間は校庭に出て、子どもたち
と思いっきり遊びました。夏はプールで
真っ黒になり、冬は一緒にマラソンを走りました。
【チャンスじゃないか】
しかし、突然、私の体を異変が襲ったのです。
子どもたちと大縄跳びをしていた時
でした。何度やっても、思うように跳べません。
へたくそというレッテルを子どもたちに
貼られてしまいました。
最初は、単に歳のせいだと思い、さまざまな
健康法を試してみましたが、体の違和感は
増すばかりで、一向に消えません。
自分では、わからないものの、歩き方が
おかしいと言ってくれる人もいます。時々、手も
震えます。仕方なく、病院へ行きました・・・。
検査の結果、ある脳神経系の病気に罹患
していることがわかりました。命にかかわる
ものではありませんが、重症になれば、難病に
指定される病気です。治療や手術で治るもの
ではなく、症状の進行を服薬で遅らせること
しかできません。
毎週、全校朝会で、壇上に立つと、全身が
小刻みに震えるようになりました。
全校児童が、教職員が、それを見ています。
休み時間にも、校長室から出ないことが
多くなりました。少しずつ、しかし、確実に
動かなくなっていく、自分の体に怯えながら、
わたしは、目標を失っていきました。
わたしは、体の弱かった、あの頃に戻った
ような思いでした。
そんなわたしを心配して、わざわざ学校まで
訪ねて来てくれたのが、S先輩でした。
「チャンスじゃないか!」
厳しいS先輩の顔が、柔らかくなりました。
「病気と闘って生きている姿、動かなく
なっていく体を、そのまま隠さず子どもたちに
見せてやれ。それこそ最高の教育だ。お前に
しかできないことだ」
そんなS先輩も、退職後にがんを患い、
胃の大半を失っていたのでした。先輩の言葉は、
魂の叫びのようでした。
【またどこかで、先輩と・・・】
わたしは、覚悟を決めました。できないことは
できない。しかし、出来ることは、まだまだ
たくさんある。病気には絶対に負けないと、
S先輩に約束しました。
それから定年までの日々は、無我夢中でした。
病気のことは、隠しませんでした。
同情を誘うためでも、迷惑をかけることへ
の弁解でもありません。自分にしかできない
ことを必死に探り、実行する毎日でした。
教育委員会や職場、家庭や地域の人も、
私のわがままを認め、支えてくれました。
そして、退職の年の、最後の卒業式では、
子どもたちと一緒に、胸を張って、校庭の花の
アーチをくぐることができました・・・。
その後、S先輩はお亡くなりに
なりました。私の病気も難病の指定を受ける
まで進行し、自宅で療養に専念しています。
以前のように、思い切り体を動かすことは
できませんが、杖を突いて散歩に出れば、たくさん
の人とあいさつを交わす事ができます。
決して、後ろ向きになることはありません。
それでも、迷ってしまうときには、必ずS先輩
のあの声、あの言葉が、よみがえります・・・。
「お前にしか、できないことだ!」
私が、私として生きる意味は、必ずある
はずです。
またどこかで、先輩とうまい酒を飲み交わす
ことが出来る日まで、「私にしかできない
こと」を模索しながら、精いっぱい生きて
生きたいと思っています・・・。
備考:この内容は、2022-1-10 発行 PHP研究所
「PHP 2022-2月号」より紹介しました・・・。