奥田民生にPUFFYをプロデュースさせた理由は?... | Q太郎のブログ

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网易云音乐

(質問)

1996年『アジアにの純真』でエビューしたPUFFY。

 

デビュー直前まで、ユニットでなくソロで活動する予定

だったようです。しかし同じくデュオのアイドルWink

 

が活動を停止する直前で、他に女子2人組がいない隙間を

狙い、デビューすることになりました。

そこで、、奥田民生がプロデューサーとして起用されました。

奥田民生もファンからヒントを得たという、ある理由が

 

あっての起用だったのです。

では、奥田民生にPUFFYをプロデュースさせた

理由は何だったのでしょう?

 

 

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PUFFY 『渚にまつわるエトセトラ』 - YouTube

 

奥田民生の曲をカラオケで歌いたい

女性ファンが多かったから

 

(解説)

奥田民生やユニコーンのファンは女の子が多いです。でも、彼らの曲は女の子が

 

カラオケで歌うには難しすぎました。そこで、同じ奥田民生が作った曲を、女の子が気軽に歌える

 

デュオの曲で売り出せば好都合だと判断してのことだったそうです。

 

 

【もっとしりたい!奥田民生の音楽接戦略】

 

PUFFYがデビューした当時は、小室哲哉の打ち込み系サウンド全盛期。そこで、あえてシンプル

でわかりやすい、アナログ録音によるロックサウンドを取り入れんました。

 

 

そのアナログサウンドのPUFFY最大の人曲「これがわたしの生きる道」には、ビートルズ

 

サウンドが散りばめられています。

さらに、この曲の漢字だけを取り出すと、「私」、「生」、「道」。この3つを続けて音読みすると、

 

CMタイアップの「資生堂」となります。このように、楽曲から様々な人が様々な要素を見つけては語り

会うという構図を作り出しtたいいます。

 

 

客のニーズに合わせた戦略は、アーティストのイメージとかけ離れている

ため放送できないのです。

 

 

備考:この内容は、011-5-5マイウエイブック

「TV出放送できない裏事情」より紹介しました・・・。