選評... | Q太郎のブログ

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 文学賞の楽しみの1つに、選評を読む楽しみがある。受賞作そのものより文学界の現状が

見える事がある。

 

 

 選考委員は、もちろん現代文学のリーダーたちだ。彼らが、自らの鑑識眼をかけて選ぶ。着眼

には、作風が表れるし、短い選評には人柄がにじみ出て、たいてい味わい深い。その際、評価が

割れたほうが面白い。また毒舌家がいてくれると楽しみも増す。

 

 

 <候補の小説たちはどれも大方姑息なマーケティングに依ったキワモノばかりで、またかと

いう気しかない>。今年の三島賞での石原慎太郎氏の評である。候補全作を切って捨てた。その

見出しも、「荒涼とした収穫期」である。江藤淳氏も、<うそ寒い気持ち>と読後感を書きとめる。

 

 

 受賞作は松浦寿輝氏「折口信夫論」 だった。そもそも評価が別れる作品ではある。青野

 

 

 

聡氏と筒井康隆氏が支持し、、筒井氏は<ことばを大事にする作家に元気もたらす評論>とほめた。

 

宮本輝氏は<大学の受験問題を読まされている思い>といい、別の候補作については<最後まで

読み通したことを後悔したくらい>と手厳しかった。

 

 

 

 新人登竜門では、しにせの芥川賞も、意見が別れた。受賞作は川上弘美氏の「蛇を踏む」だ。

<しっとりとして冷たい情感をたたえた文章>(三浦哲郎氏)、など多くの選者が支持をした。

 

しかし、石原氏と宮本氏の評価は、ここでも厳しい。とくに石原氏は<こんな代物が歴史ある文学賞

を受けてしまうというところも、今日の日本文学の衰弱がうかがる>とまで言い切った。

 

 

 石原氏自身をはじめ、開高健、大江健三郎といった大物がくぐってきた登竜門だ。あのころに

比べると確かにさびしいかもしれない。ただ、最近の新人たちは、うんと気楽に小説を書いて

いる気味がある、といったら失礼だろうか。それを「衰弱」というべきかどうかはわからない・・・。

 

 

備考:この内容は、1997-4-15 朝日新聞論説

委員室著「天声人語」より紹介しました・・・。