著名者は、アノニマスとある。日本語では匿名、平たくいえば、名無しの権兵衛である。
このアノニマス氏の書いた本がアメリカでベストセラーになった。大統領選を題材にした政界小説
で、その邦訳『プライマリー・カラーズ』 (早川書房)もつい最近出た。
かの地では当然「犯人探し」が始まった。捜索は徹底していた。ホワイト・ハウス周辺の
さまざまな名前が取り沙汰された。シエークスピア作品の確定に威力を発揮したコンピューターも登場
した。結局、決め手になったのは、書き込みによる筆跡鑑定で、先週、ワシントン・ポスト紙が
「犯人」は、ニューズウィーク誌のコラムニストで、CBSのコメンテーター、ジョー・クライン
氏だった。かねて噂の人だ。先のコンピューターによる捜索も、匿名氏とクライン氏の
形容詞の使い方が似ている、と指摘されていた。しかし、本人は否定を続け、ニューズ・ウィーク
誌は、クライン氏の否定の談話を掲載していた。
本メディアは、目下、クライン氏に猛批判を浴びせている。うそを言っただけでなく、弁明の
仕方もまずかったようだ。「取材源秘匿のためにうそをつかなければならないときもある。それと
似たようなものだ」と語ったそうだ。
ニューヨーク・タイムズ誌は、〈節操のあるジャーナリストはうそは言わない。黙秘する
だけだ〉と書き、ジャーナリストとしての堕落を避難する。
ワシントン・ポスト誌は、クライン氏が最近買った家や車のこ
とまで調べて報じている。同業者だからといって容赦はしない。
むしろ、よりきびしいかもしれない。
クライン氏はニューズウィーク誌最新号に手記を掲載した。「政治家になることがどういう
ことかわかった。記者会見で毎日のように矢面に立たされること、とても耐えられることでは
ない」。老練の政治記者の感慨である・・・。
備考:この内容は、1997-4-15 朝日新聞論説
委員室著「天声人語」より紹介しました・・・。
文章と画像が不一致な点、深くお詫び申し上げます。