07年3月27日、植木等が死去した。テレビで昔の映画のシーンが放映されたり、追悼
番組としては、「日本一のホラ吹き男」(64年)が放映されたりしたが、その作品を観た人の
中には、そこに製作者として渡辺晋の名前が記されていたことに気が付いた方も多かった
だろうと思う。
渡辺晋。芸能プロの渡辺プロダクション、通称ナベプロの創始者であり、植木の仕事に
大きな関わりを持った人物で、その作品に堂々と製作者としての名前が入っていたこと
から、彼が植木の映画に深い関係を持っていたことがわかる。
当時(60代半ば)は、映画界は、”5社体制”と言われたほど権威を持った五つの映画
会社が、一部の独立プロを除き、すべて自前の資金で映画を作っていた。会社の社長
が製作のトップに名前を連ねるケースが多く、その代表的な人物として東映の大川博氏、
大映の永田雅一氏らがいた。
しかし主にプロヂューサーの分業制になっていた東宝は、各担当プロデューサーが名前
を連ねることが多く、社長の名前が出ることはまずなかった。そうした事情から、植木等
の主演作に、東邦のプロデューサーとともに渡辺の名前が入っていた。いわば彼は、外部
プロデューサーでもあったのである。
植木等は60年代当時、加山雄三の若大将シリーズ、森繁久弥の社長シリーズ、ゴジラ映画
などのローテーション番組のなかに入り、東宝作品の中核を成す人物だった。東宝に
したら、加山、森繁らとともにもっとも重要な俳優の一人であり、だからこそ渡辺との
”共同制作”という形をとらざるをえなかったのだ。
渡辺は企画段階から製作に関与し、製作に関して大きな発言権をもっていた。ナベプロ
にはプロデューサー料と植木のギャラが製作費から出るわけだが、しかしナベプロ自体が
製作費を出すわけではなかった。製作費は、東宝の自前であった。
その後東宝は、山口百恵のホリプロ、田原俊彦らの”たのきんトリオ”のジャニーズ
事務所といった芸能プロと深い関係をもっていくが、ただここでも芸能プロと東宝の関係は
企画の選定、俳優の起用などが中心であり、芸能プロが映画の出費を行うことは原則的に
はなかった。これはもちろん、ほかの東映、松竹でも同じことであった。
ここ数年、芸能プロが邦画の制作に参加するケースが増えている。これは今述べた
かつての芸能プロとは、映画への関わり方が大きく違っている。
芸能プロが製作に関する場合、出費までするのが常態化している。ここがかつての
芸能プロと大きく様変わりした点である。いわばこれは、製作委員会システムが恒常化した
結果、それを構成する一つの会社というポジションを、芸能プロが獲得したということ
だろう。
とくに注目されるのが、所属する俳優を主演や脇の出演者に据えることが、まずもって
出費の大きな条件だと、芸能プロが考えていることだ。これは当然のことだし、植木等の
ころと変わらない。所属するタレント、俳優を最大限に生かすための映画という意味合い
がそこにあり、これは今も昔も同じことである。
ではなぜ出費まで、芸能プロが行うようになったのか? これは、当然その見返りが期待
できることになったことが大きい。芸能プロにすれば、起用された俳優へのギャランティ
のほかに、興行収入やDVD収入からの様々な収益を見込むことができる。
さらに映画の注目度が上がってきたことで、出費した俳優のネームバリューを一段上に
押し上げることができる。テレビドラマやCMへの出演依頼が増えることも、当然その
視野に入っているだろう・・・。
つづくかも・・・
備考:この内容は、2007年11月29日発行、(株)ランダムハウス講談社
大高宏雄著 「日本映画のヒット力」より紹介しました。