こんな時、サスペンスドラマならガチャリとノブが回るだけなのに・・・。そう思ったら本当にノブが
回ってしまってドキリとした。こんなとき、サスペンスドラマなら・・・。
ましてや父は、大金を騙し取られたばかりなのだ。
「・・・お父さん!?」
私は一息にドアを開けた。パンプスのストラップを外そうとするがうまくいかず、
もどかしい思いで玄関を駆け上がる。
短い廊下を抜けたところで、目の前に黒く大きな影がヌッと現われた。私は「きゃああ!」と
悲鳴を上げて激突し、思い切り尻餅をついた。
顔を上げるのと同時に ぱちんと灯りが点く。寝巻き姿で後頭部に、ぐしゃりと寝癖をつけた
父が、寝ぼけた様子で 「・・・おかえり」と言った。
まだ夜の8時だというのに、父は就寝していたらしい。4年ぶりの再会にも関わらず
「とりあえず、今日のところは・・・」などと言って もそもそ布団に入れられてしまい、なんだか拍子抜け
してしまった。

居間のソファに座って何気なくテレビをつけると、どのチャンネルも映像が波立っていて
見られたものではなかった。まさか、と思って携帯を取り出すと、見事に「圏外」の文字が
浮かんでいる。ありえない、と声にもならずに電源を切った。
気を取り直してシャワーでも浴びよう。浴室を覗くと、シャワーどころか薪で焚く風呂で
仰天してしまった。こんな原始的なシステムが、平成も20年をすぎた時代に存在している
なんて・・・。
完全に脱力してしまい、台所の水道でじゃぼじゃぼと顔だけ洗って、Tシャツとスウェット
パンツに着替えた。居間と父が寝ている和室が続きになっていて、もうひとつのドアを開けると
納戸だった。
やけくそ気味に和室の押入れを開けると、意外と寝具は充実していてホッとした。適当に
取り出し、父の眠る横に布団を敷いて潜り込んだ。
残業、接待、スポーツジム、デート・・・日々理由は違っても、日付が変わる前に帰宅する
ことはほとんどない。。こんな時間に眠れるとは思えなかったけれど、とりあえず目をつぶって
みた・・・。
暗く静かな中、ホー、ホー、と何かの鳴き声が聞こえる。フクロウだろうか?フクロウの
鳴き声なんて、聞いたことがないからわからない。
・・・父が「老後は田舎で暮らしたい」と言ったから、母は離婚に踏み切ったのだろうか?
それとも母が「離婚したい」と言ったから、父は自分の望む場所で暮らし始めたのだろうか・・・?
娘のくせにそんなことさえ知らない自分に呆れてしまう。正直に言うと、気にも
ならなかった。父と母の関係は、とうに冷え切っていて、遅すぎた感こそあれ、離婚はごく自然なこと
だったのだ・・・。
父は典型的な仕事人間だった。医薬品会社で特許業務に携わっており、残業、残業、残業、
残業・・・私と違って来る日も来る日も残業で、日付が変わる前に帰宅することはほとんど
なかった。休みの日でも出張だったり休日出勤だったり、書斎にこもって難しそうな文献に
読みふけっていたり・・・。本当に仕事が好きなんだな、と子供ながらに思っていた。
一方、母はひとり、交通事故で起き上がることもままならなくなった祖母の介護に明け暮れ
ていた。なぜ2人の伯父ではなく3男の父が祖母を引き取ることになったのか、その経緯は
幼かった私にはわからない。ただ、祖母は気性の激しい人だった。母は祖母に逆らうことも、
介護について愚痴をこぼすこともなかったけれど、時折台所の隅にしゃがんで顔を
覆っていた・・・。
母は私に、家の手伝いよりも勉強をするように言った
「結婚しなくても、自分の
力で生きていけるようになりなさい」 幾度となくそう言われ、いつしか私もそう思っていた。
母に同情さえしていた。なぜ父と結婚したのだろう、と・・・。
だから寝る間もおしんで受験勉強をして、一流と呼ばれる大学に入った。就職難の中でも
必死に就職活動をして、大手化粧品会社の内定を勝ち取った。入社後も努力して努力して、花形の
企画部に異動できた。
仕事のやりがいも収入も申し分なく、周囲からの羨望のまなざしも誇らしく、毎日は充実
していた。学生時代の友人や同世代の同僚が次々と結婚し出産し、化粧もせずに家庭の愚痴
なんかを言うようになったころ、祖母が他界し、父が退職し、両親が離婚した。
やはり結婚なんてしなくてもいい。むしろ、するべきじゃない。
ますますその思いを強めた私は、今の恋人と付き合い始めた。ルックスもよく、性格も合い、
頭もいい。知識、お金、人脈、余裕・・・私がパートナーに求めるものすべてを持っていて
与えてくれる、最高の恋人だ。
そう、わたしの意識が先にあった。だから、恋人が結婚していることには何の問題もないはず
だった。
では、このところずっと続いている漠然とした寂しさは、何を求めてのものなんだろう・・・。
そんなことを考えていたら、案外すぐに眠気はやって来た。長旅の疲れもある。ふかふかの
布団も心地よい。妙にしっくりくると思ったら、これは私が実家で使っていた小豆の枕だ。
隣で眠る父のいびきに安心感を覚えて、私はすとんと深い眠りに落ちた・・・。
つづく
備考:この内容は、「99のなみだ 梅原満知子著
父の家で」より紹介しました。