AKB48・前田敦子(20)が
3月25日、
AKB48からの卒業を表明
しました。
国民的アイドルグループ
史上最大の衝撃は、一般紙の
ニュース記事になるほど、国民的
関心事として大きな反響を呼びました。
日刊スポーツでは、翌26日付1面から詳細
を掲載。27~29日までは緊急連載「前田敦子
卒業の真相」もしました。月刊AKB48
グループ新聞では、未掲載の写真や、プラスアルファ
の情報を加えて、”激動の卒業発表”
を振り返ります。
3月25日
これまでのAKB48で使い古されてきた
「サプライズ」という言葉では、収まりが
つかないほどの、超ド級の衝撃発表だった。
たかみなのMCにあっちゃんが、割って
入ってきた。「私から、お話が・・・」。トークは
控えめなセンターが、初めて見せる行動に
超満員の観客は、どよめき、戸惑った・・・。
ところが、意を決してマイクを握っても、
すぐには言葉が出てこない。平静ではない
その顔つきに、観客が動揺する。
「うそ、えっ、何?」
「あっちゃーん!ガンバレー!」
必死に落ち着こうと、右手で胸を抑えるが、
瞳がみるみる潤んで・・・。
「私は14歳の時に、AKBのオーディションを
受けました。それは、私にとって人生
で初めての大きな決断でした。そして今日
ここで、2回目の大きな決断をさせてください」
20秒もの沈黙。そして涙が溢れ出た。
「私、前田敦子は、AKB48を卒業します!!」
叫んだ。中途半端な語気だと、言えなかった
のだろう。ありったけの声で、告白した。
巨大アリーナが2万5000人のどよめき
で揺れた。華やかで完成度の高かった最終日
コンサート。4回目のAKB48選抜選挙
発表。チーム4とSKE48メンバーのAKS
からの移籍先の芸能事務所発表も、すべてが
吹っ飛んだ瞬間だった。
コンサート1日目の
ときに、東京ドームの
発表があって、14歳のころから、
みんなで夢見てきた、
その夢が叶ったと、とっても感動
しました。それとともに、20歳の
(自分の)夢に向かって歩き出さなきゃ
いけないと、改めて思うことができました」
自分の夢だけを追う決断ではない。もう
1つの大きな理由があった。
「ここにいるたくさんの後輩のためにも、
私が卒業をして歩き出さなきゃいけないと、
そう思います」
いつまでも景色の変わらないAKB48で
は、長い歴史は紡がれていかない。グループ
が大ブレークして早2年。「世代交代」が、
1,2期生らが昨年から考え始めていた
課題だった。
後進に指定席を讓ると共に、新しい道を
切り開くパイオニアにならなければ
ならない。不動のセンターだった自分にしか
できない役割を背負っての、孤独な選択だった。
たかみなは、一筋の涙を流した。優子や
真里子は、
真っ青な表情で
固まった。こじはるは、
メークが崩れるほどに
泣きじゃくった。
決意の固い口調と
まなざし。20歳の女性なりの不退転
な決断に、もう、メンバーが
異論を挟むことはなかった。
「今回、たくさんの人から
止められました。ですが、今日ここで
みなさんに発表することは絶対にしよう
と思って、ここまで、(ライブを)やって
きました」
異変を悟った麻里子には、前日24日に
「まだ一緒にやってくれたりするのかな?」と
尋ねられたが、「ずっと一緒にやりたいよね」
と、やんわりと答えを濁していた。相談に
乗ってくれていたともちんにも、Xデーは明言
していなかった。必死に説得されたら、
一大決心が揺らいでしまうほど、大好きな仲間
たちだったからだ。
そして、最終日公演の幕が開く直前に、MCを
仕切るたかみなだけに、「よろしくね」
と初めて握手をして、ようやく静かに
決意を明かしたのだった。
ステージの去り際に、もう一度
マイクを握り、ファンに感謝を
述べると、小さく微笑んだ。
長く密かに告白
できたあっちゃんの、
本当の素顔だった。
歴史的瞬間、
AKB48の暦が変わった夜だった・・・。
(瀬津真也)
備考:この内容は、「AKB48新聞グループ2012年4月号」
より紹介しました。