AKB48メンバー検定・前田敦子 | Q太郎のブログ

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パクリもあるけど、多岐にわたって、いい情報もあるので、ぜひ読んでね♥
さかのぼっても読んでみてね♥♥



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Q.1


2011年3月2日に前田敦子は、


大ファンのカナダ人ポップロック・プリンセスに


会ったのだが、そのプリンセスとは誰?



A、 クリスティーナ・アギレラ


B、 アヴリル・ラヴィーン


C、 レディー・ガガ









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答え


B、 アヴリル・ラヴィーン


 AKB48の前田敦子が、パーソナリティーを務めるTOKYO FM


「前田敦子のHEART SONGS」の公開収録が、2011年3月2日に


都内で行われ、カナダ人の世界的人気を誇るロックシンガー、アヴィリル・


ラヴィーンが番組にゲスト出演した。


 前田敦子は、曲を聞くと元気が出るアヴリルの大ファンで、「日本語を


教えて」とお願いされ、「大好きだよ」って言うと(みんな)喜ぶと、


伝授。アヴリルは「ダイスキダヨ」と、ファンに語りかけた。


 アヴリル・ラヴィーンは前夜の3月1日に東京・赤坂ブリッツで2年半


ぶりの日本公演を行なった。このライブは3年半ぶりのアルバム「グッバイ・


ララバイ」発売前夜に行なった600人限定の特別ライブだった。







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Q、2


2010年10月クールの


「Q10」で人間型ロボットを


演じた前田敦子だが、


そのロボット口調は誰が考え出した?



A、 秋元康


B、 番組プロデューサー


C、 前田敦子自身









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答え


C、 前田敦子自身




 あの大評判だったロボット口調は、前田敦子自身が瞬間的に思いついた


もの。「Q10」(日本テレビ系)のプロデューサーは、その経過をこう明かす。


「Q10」役は人間ではないので、うまく演じるというより、その人が


もともと持っている存在感を役として見せられる人を探していました。前田


さんはたたずまいがどこかヘンで(笑)。それが彼女の人間としての


面白さにつながっていきました。だからいけると思ったんです。


 考え込まず、瞬発力で的確な表現ができるのは素晴らしい。Q10のあの


喋り方も、彼女が生み出したもの。撮影開始前に「試しに


ロボット口調でやってみて」とリクエストしたら、ほぼ一発でオンエアと


同じあの喋り方をして、「面白い」となりました。










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Q、3



 2005年にAKB48の「オープニング


メンバーオーディション」に応募した時の


前田敦子は、どんな少女だったのだろう?




A、 勝ち気な少女


B、 引っ込み思案な少女


C、 大人びた少女









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答え


B、 引っ込み思案な少女



 AKBのオーディションに応募した当時、中学2年生の前田敦子は、


引っ込み思案な少女だったという。




 前田敦子のその頃の思い出を、「日経エンタテイメント」誌から


抜粋してみた。



「小学校の高学年ぐらいから『nicola』とか『ピチレモン』とか


ティーンズ雑誌が流行りだして、ガッキー(新垣結衣)とか同い年ぐらいの子


たちがモデルをやっているのを、どこかで憧れを持って見ていました。だけど、


私は人見知りだし、性格的に絶対向いてないなと思っていて・・・。授業中、


先生に指さされて教科書を読むのもすごくイヤだったし、部活も『自分が何か


しているところ』を誰かに見られるのが恥ずかしくて入れなかったんです」




 こんな少女がAKB48に入ったのである。




「だから、オーディションにエントリーするなんて絶対ありえないこと


だったんですよ。ただ、AKB48は、たまたま募集の紙をお母さんと一緒に


見て、そのときに『やってくれば』って言われて。普段なら『オーディション


を受ける』って親に言うことがもう耐えられないんですけど、その


手間が省けたし、じゃあ、どうせ受からないだろうけど・・・ぐらいな感じで。



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 実際オーディション会場では何も出来なくて・・・。歌も出だしを間違え


ちゃったし、ダンスも全然踊れなかった。これは絶対に落ちたなって


思いました。審査の結果はそのまま会場で発表されたんですけど、そこで合格


って言われた時には意味がわからなかったです。基準はなんだったろう


って(笑)」




 このようにして始まったAKB48の活動だが、最初のうちはなかなか


観客が集まらず、客席よりもステージ上のメンバーの方が多い日があった。



精神的にも厳しい状況が続く中、前田敦子は徐々にセンターポジションの


重責を任されて行ったのだ。



 「グループに入っておきながら、最初は前に出るのが本当に苦手でイヤ


だと思っていたんですよ(笑)。2年目には、メンバーのなかで初めてソロ曲


を貰ったんですが、実はその時も『やりたくないです』って速攻否定


しちゃって・・・。本当なら、みんなが憧れる場所だし、喜ぶべきなのに・・・。


でも、私は仲間であるメンバー内で私だけが歌うっていうのがイヤでイヤで


仕方なかった。どうすればいいかわからなくて、ずっとやりたくないって


泣いてました。あれが、初めてプレッシャーを感じた時だったかも


しれません」




 しかし、前田はAKB48を離れた活動の機会を与えられたのも早かった。


2007年には映画「明日のわたしのつくり方」に出演。それまで芝居の


経験がない彼女が、準主役に抜擢されたのだ。










備考:この内容は、コスミック出版 編・著 服部将太 「AKB48メンバースペシャル検定」

より紹介しました。