VOL.10遠くにある”旅”。近くにある”旅”。 木村拓哉
July,2004
海外でも買い物はあんまりしない。『GOOD LUCK!!』のハワイ・
ロケのとき、CDショップで買ったローリング・ストーンズのキャンディー
は今も家にあるけど。洋服なら日本の方が揃うと思う。だから、
ちょっとユーモアのあるショップや古着屋さんをのぞいたり。あとは女性物
の下着屋さん。「なんでそんな普通に入っていけるの!?」ってびっくり
されるんだけど、けっこう毎回買い物してます。『スマスマ』で行ったパリ
では、ほかのメンバーがブランドの店に行ってる間、”ガチャガチャ”
やってた。出てきたのは、壁に引っつくおもちゃとスーパーボール。だから
今残ってるパリ土産は、そのふたつだけ。でもすっごく楽しかった。
南仏もパリも行ってみたら、とても好きなところだった。カンヌに
関しては映画祭が開かれている期間に行けたからね。よりいい印象を受けたん
だと思うけど。フランスは「ここ、すげーみたい」とか「あそこも入って
みたい」って場所や店がたくさんあった。
でも食べ物の話じゃないけど、腹八分目でやめておこうって思いも
あったんだよね。自分をわざと満足させない。余白を残しておけば、また次に
つながるだろうし。友だちと一緒だったり、家族と一緒だったり。新しい
プランも生まれて来ると思うから。
海外では、自分でハンドリングできる時間が増やせるせいか、自然が
普段の生活よりも身近になる。太陽、風、月・・・。自然科学系っていうのか
な? どこにいても、そういう分野に接すると、とっても充実する。
たとえば「秋冬もの
の洋服が入ったよ」って情報より、「そろそろクワガタの
シーズンだよ」とか、「今、あそこでホタル見られるよ」って話を聞いた
ほうが、ずっと気持ちが盛り上がる。
ハワイでは、英語で、”ヴィーナス”って呼ぶ、月のすぐ近くに出ていた
金星を毎晩確認していた。一日ごとに星の位置も変わっていくんだよね。
カンヌから帰る飛行機に乗った時は、滑走路のわきの草むらにキツネ
の姿を見つけてすごく嬉しかった。
旅先でも東京でも、そこにあるのは同じ太陽、同じ月。だから、旅から
帰ってもその身近な感じは続いていく。夕暮れになったらヴィーナスを
探している自分がいるしね。代々木公園にだってキツネはいないけどリスは
いる。この間は、代官山の西郷山公園でセミの抜け殻が木についたままに
なっているのを見つけた。その時自分が、”戻される”のを感じた。
道端の植え込みにツツジが咲いているのを見て、思わず花を摘んでチューッ
て吸ってみたときも同じ感覚だった。おたまじゃくしを見たとき。ミミズ
がアスファルトのうえで干からびているのを見たとき。耳元を蚊がブンッ
て跳んだ時。ふぅと戻る気持ちになることない? タイム・マシーン
って、いっくらでもそのへんに転がっているんだよ。
「ちっちゃい頃、こんな遊びしたよね」って話を人とすると、一緒に、
”戻されて”その人の中の大きな財産に触れたような気持ちになる。
波乗りでつくった自分の傷の痕を見るのもけっこう好き。その怪我をしたとき
の周りの人たちの気持ちやフォローが一緒に刻まれているから。剣道の
あざの痕、自転車の乗り方を覚えたときのすり傷・・・。女のコでも、「最悪。
ここに今も傷が残ってて」って見せてくれたりすると、その傷を負った
瞬間まで一緒に戻れる気がする。「やんちゃだったんだな」って思うと、
今はそんなに着飾ってキレイな身のこなしをしていても、ドテドテドテ・・・
って歩いてた頃があったんだよねって、ほんとに微笑ましくなる。
セミの抜け殻を子供の頃は「仮面ライダーみたい!」って見入って
いた。今はそう思った頃の自分を思い出しながら眺めている。確実にタイム・
トリップさせてくれるものなんだよね。誕生日を迎えた人の年齢のぶん
だけ集めて贈ったこともある。ケーキに立てるろうそくみたいに。抜け殻の
ひとつひとつみたいに成長してきたんだろうなと思った。その人自身、
自分にとって、そんなことを感じさせてくれる人だったんだよね。
備考:この内容は、集英社 木村拓哉著 「開放区2」より紹介しました。