・・・でも、毎週『たけしのオールナイト』を聞いていると、どんどん弟子が増えて
いることが耳に入ってくるわけで、そこで「俺は何をしてるんだろう?」って
いう・・・?
博士> もちろん、そのために上京してきたわけだから、そういう気分には
なりましたよ。
・・・でも、弟子志願にはいかない?
博士> そうですね。もうあきらめていたんですよ。それで、4年経った時に、
周りのバイト仲間や友達が、全員故郷に戻って就職することになったんです。回り
が全員カスみたいな生活してたから、お互い慰められてたんだろうね。「カス
同士だな」って安心してた。で、周りが故郷に戻るってなった時に、「俺、
何してるんだろ?」って現実に引き戻された。で、ようやく意を決して弟子入り志願に行く
んです。
・・・で、深夜のニッポン放送に通い初めて。その時期は何人くらい弟子志願が
いました?
博士> へたすりゃ100人位いたよ。ホントに。そのなかで、特に親しいやつだけ
でも10人くらいはいたから、俺の場合、最初はニッポン放送前だったけど、その
うち北の家の前とか、サンミュージック前とかで待つようになった。いろんな
場所で待っていたほうが印象づけられるんじゃないかと思って。四ツ谷のサンミュー
ジックの裏に、当時、殿のマンションがあったんで。そこで待ってたら家に
あげてもらったこともあった。「中においでよ」って。そこで、ラジオでネタにも
なった”札幌の女”にも会ったなあ。
・・・家に呼ばれて「弟子にしてください!」みたいな?
博士> いや、座らされて「あんちゃんたち、何してんの?」みたいな感じ。
「弟子にしてください!」は1回目ですでに言ったから・・・。
・・・土下座とかしたんですか?
博士> 最初は土下座もしたな。自分で考えたネタを書いた手紙を渡したら、
通りすがりに受け取ってもらえて。そしたら、ご本人から直接電話がかかってきた
からね。放送禁止のネタばかり書いたら「兄ちゃんの面白いから、次は『モンティ・
パイソン』みたいな台本を書いて持ってきなよ」って。で、当時、俺、『モンティ・
パイソン』見てなかったから、慌ててレンタルビデオ屋に行って。でも、
そこからは、恐れ多くて全然行けなかったね。
・・・じゃ、それから毎週いろんな場所で待ち伏せをして?
博士> そうそう。それを7ヶ月間、毎週やった。あてどもない感じがしたなあ。
毎週毎週、3時間から4時間立ちっぱなしだから。それで、7ヶ月目位に
ちょうど「風雲たけし城」(TV番組)が始まることになって、その場にいた弟子
志願者が全員採用される事件が起きた。「明日、緑山スタジオに全員集合しろ」
って。ちょうどその時いた10人くらい、全員で緑山スタジオに行ったんです。
そこで、ようやく俺も採用になったと。でも、最初はずーっと透明人間扱い。軍団
の人も話しかけてくれないし、もちろん殿も話しかけてくれない。殿とはそこから
7年間、ひとことも話さないからね。楽屋にいるのに見えない人。それも
けっこうキツかった。
・・・そうやって透明人間になったあとも、『オールナイトニッポン』は聞いてたん
ですか?
博士> いや、現場に行けるようになった。スタジオの金魚鉢(放送ブース)の外で、
俺、ずっとハガキを見てたなあ。1~2万通くらいあるんだけど、人生相談とか
悩み相談みたいなのを封書で送ってくる人もいて。それを読んでいると、昔の
ファンの頃、恋焦がれていた自分を思い返すんだ。「うわー、こいつ、あの
頃の俺と一緒だ」って。それがすごく切なかった。俺が殿のところに行こうと
思ったのは「悩み相談なんか書いてくるな、悩んでいる奴は○ね!」ってラジオで
言ってたのが、引き金なんだよね。それで吹っ切れたというか、「そうか、ダメ
だったら○ねばいいのか、でも○ぬくらいならその前に家を飛び出して弟子志願
をしたいな」って、殿の言葉を逆説として受け取ったんだ。あのメッセージも俺
にとっては大きかった・・・。
備考:この内容、太田出版 「ビートたけしのオールナイトニッポン傑作選!」
より紹介しました。