みなさん、こんばんは
今のままのペースで行くと、
最終ページまで、3か月ぐらいかかりそうだし、
いつ、削除になるかわからないから、
待ちきれない人のために、
今回は、いきなり、おきて破りの、最終ページを、紹介しちゃいます・・・
開放区 2
VOL.65 「Starting over・・・」 June.2011
ときどき自分って薄情なのかなと思うときがある。たとえば”ヤマト”
を撮影していた時のスタッフ。共演者との一体感って言うのは確実に
あって。出来上がった作品に対する愛着もある。
次の『月の恋人』の現場では、監督とはガチで取り組んで。打ち上げで
は(松田)翔太にしても、(北川)景子にしても(篠原)涼子にしても
(リン・)チーリンにしても、それぞれ「そん風に思ってくれてたんだ」
っていうような、胸にしみるスピーチをしてくれて、すごくうれしかった。
それは、確実にあるんだけど、今、また『南極大陸』の現場に来て、
普段、経験したことのない撮影場所や撮影期間と言うものの中にいて、そこ
で「最高!」と思っている。考えてみたら、俺、またすげー熱くなってた。
フッと冷静になってみると、それこそ携帯電話には翔太の番号が入って
いるけど、全然電話していない。もっと言えば『HERO』も城西支部の
みんなだっているわけで。いつも目の前のことにしか目を向けられない
自分に少し後ろめたいような気持ちも感じつつ、やっぱり自分がさせて
もらってることって、すごく特別で、なんだか不思議なことなんだなって思う。
今、『南極大陸』の撮影に入っていて思うのは、こんなに熱くて、
こんなに大きくて、悲しくて、うれしい話だったんだっていうこと。
毎回、作品に入る時は、その人物を”生きて”みたいと思う。
今回で言えば、氷と雪に直面するのも、燃えさかる火に直面するのも、
敗戦国として世界からさげすみの目で見られた時代に直面するのもその人。
でも、その日の撮影が終わって、自分の服に着替えて、現場を出るとき
には、普段の自分に戻っている。で、家帰って風呂入って、「明日は
どのシーンだっけ?」って、台本に目を注いだときに、外面は自分
なんだけど、内面は本の中の人物に、ぐーっともぐりこんで行って・・・。
1950年代へとタイムスリップしている。そこで翌日の軽い作戦を立てた
上で眠って。また次の日、現場に行って、着替えて、セットに入って、
アクションして・・・。その中で、徐々にまたその人を生きることになる。
生まれ変わってはいないけど、生まれ直しているというか・・・
そんな感覚の毎日。
最近、すごく感動したのは、あるスーパードクターの言葉。十分な睡眠
時間もとれないし、家族にも会えないし、ちゃんとしたものも食えない
過酷な状況の中で、「何でやってられるんですか?」って聞かれて、
「自分を必要としてくれる人がいるっしょ」って答えていた。ほんと、そこ。
それが原動力になっている人のことを見聞きすると・・・、すごくうれしく
なる。自分もそうありたいという憧れもあるんだよね。苦しいこと、
つらいことをそのまま体に貼りつけるのではなく、前向きにとらえる。必要と
してくれる場所と人が待っているのなら、何度でも、生まれ直してそこに行こ
うという気概。それは、いつも持っていたいと思う。
今、撮影をしているスタジオの前室に、一枚の写真を貼らせてもらって
いる。”昭和基地”で、我々南極越冬隊員たちを撮った、劇中にも出て
くる写真。どのシーンを撮るにしても、チラッとその写真を見て、中には
写真に接近して、映り込んでいるいろんな感情を自分の中に取り込んでスタジオに
入っていく人たちがいる。それは、僕たちにとって気持ちを調整して
くれるチューナーみたいなもの。
そして、大変なことを経験してしまった今の日本に、『南極大陸』が、
この写真のような存在になったらいいなと思いますね。切に。多くのもの
を失って間もない1950年代の日本で、なしえたことがあった。作品を
受け取ってくれた人たちが、知らないうちに力が湧いてくる気持ちに
なれれば・・・。そんな願いが作品には確実に込められていると思うので・・・。
やっぱり俺にとって大切なのは、目の前にあることにどれだけ熱く
なれるか、それに尽きるのかな・・・。
エピローグ
元気でね、
PS・・・
ありがとう。
備考:この内容は集英社 木村拓哉著 開放区2 2011年9月30日 第1刷発行
(\1900+税)より紹介しました。