「私の家族」 栗原恵
小さいころから島の保育園に通っていたのだが、朝、保育園に行くまでがイヤ
だった。毎朝、ぐずっていた。行ってしまえば、案外ケロッとしているのに、
行くまでがイヤでイヤでたまらなかった。保育園について車から降りるとき、
母が先に降りると、私は中からカギをロックしてしまい、行くのを拒んで
居たくらいだ。
3歳年上の兄の後をいつも追いかけて、遊んでいた記憶がある。兄は、
そんな私をイヤがらずに、優しくしてくれた。「メグ、メグ」と言って、自転車の
後ろに私を乗せて、兄の友達と一緒にどこへでも連れて行ってくれた。私が
保育園に通い始めた時には、兄は小学校に入学していた。それも、保育園に
行くのをグズった理由なのかもしれない。
兄とは、今でもすごく仲良しだ。母も「まあ、この子たちはどうしてこんなに
仲良しなんだろう?」って首をかしげるくらい。幼いころは部屋も一緒だった
から、いつでも兄のそばにいた。昼間は、兄の友達と一緒に山や海に行って
遊び、家に帰ってくるとテレビゲームで「スーパーマリオ」などをやっていた。
いつも「お兄ちゃん、お兄ちゃん」と言って、くっついていた。
「メグがひとりになるけん、友達と遊べん」
兄はそう言いながらも、母のいない昼間の留守中は、いつでも私のそばに
いてくれた。母は、そんな兄の優しさを、今もいとおしそうに話してくれる。
兄は小学校のスポーツ少年団ではソフトボールを、中学では陸上競技を、
高校ではバレーボールをやっていた。中学の陸上部ではハイジャンプの選手
だったから、けっこう跳躍力もあった。長身だったこともあり、高校に入ってから
バレーを始めたようだ。でも、その後キャプテンになれと言われ、それが
イヤでやめたと聞いている。家族4人の中で、一番バレーボール経験が
少ないのが兄だ。
現在兄は、結婚して美容師として呉市に住んでいる。たまの休暇で実家に
帰ると、兄がカットやヘアカラーをしてくれたりもする。今は、1歳の姪っ子
「ひな」に会うのも、たまの休暇の楽しみの一つになっている。
両親は、今はもうバレーボールをしているわけではないけれど、私が中学
から親元を離れてバレーに打ち込むようになってからは、ほとんどの試合を
ふたりで見に来る。現在も、全日本の大会はもちろん、Vリーグのシーズン中も
毎週末のように、私が所属するパイオニア・レッドウイングスの応援席に座って
いる。全試合と言う訳ではないけれど、かなり皆勤賞に近い。バレーボール
観戦経験で言えば、誰にも負けないかもしれない。
父は、私が通っていた小学校のスポーツ少年団でもバレーボールのコーチを
していた。そして、何より、私がバレーボールの手ほどきを受けたのは、父だ。
それでも父は、私が高校に進学したころから、私のプレーに関しては一切何も
言わなくなった。バレー以外のことでは、いろんな話もするし、メールもくれる。
けれど、バレーのプレーについては、本当に何も言わない。徹底しているのだ。
備考:この内容は 実業之日本社 栗原恵著 めぐみ(¥1200+税) より紹介しました。