AKB48ヒストリー 8-2 | Q太郎のブログ

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パリ公演は大成功。「帰りたくない」と言う本音





 これと同じころ(7月初旬)、選抜総選挙とともにAKB48にとって大きな出来事が


あった。フランスのパリで毎年行われる、日本の漫画やアニメ、ゲームなどの文化を紹介キティちゃん


するフェスティバル「JAPAN EXPO 2009」に、AKB48が参加したのだ。


”パリ組”に選抜された22人が、パリのファンの前で歌う。250人しか入れない秋葉原のマイメロ


劇場で始まったAKB48が、アキバを、そして日本を飛び出してヨーロッパへ。


 河西智美は、パリでのコンサートを振り返る。



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「正直、パリに行く前は心配でした。誰も私たちのことを知らないんじゃないかってけろけろけろっぴ


思っていたから。私、緊張すると涙が出てくるんです。だから、この時はステージに上がる


前にすごく緊張していて、涙がじんわり出てきて・・・。でも、バックステージに入った瞬間メロディ


にものすごい大歓声で(AKB! AKB!)って声が聞こえてきたんです。その声を


聞いた瞬間、涙だけじゃなくて、全身に鳥肌が立ったのを覚えています」


 バックステージからフランスのファンの前に飛び出す。瞬間、割れんばかりの歓声とキキララ


拍手。それは、遠い国フランスまでAKB48の名前が届いていた証しだった。


河西「コンサートの後、サイン会もしたんですよ。そうしたら(スゴク、ダイスキ、


デシタ)って手を震わせながら日本語で言ってくれた人とか(チユウ)*1 って言うボードを赤いキノコさん


作って持ってきてくれる人、私がめーたん(大堀恵)と歌っている(おしべとめしべと


夜の蝶々)*2 のピンクのコスチュームを作って、来てくれている女のコもいたり、海外の人はキティーちゃん


インターネットくらいでしか私たちのことを知らないのに(好き)って言ってくれて。


フランスでのことは本当に忘れられません。こんなに遠くの国の人たちが私たちを好きでいてkonatu


くれるなんて、想像できなかったから」


 この時期、日本では中間発表がされていた。一方で、コンサートを追えたパリ組たちはキティちゃん


滞在の最終日である7月6日、パリの街を歩いていた。


河西「パリでは普通に観光していました。日本だったら、あれだけ大人数で歩いていたらキティちゃん


「AKB48じゃない?」って言われることもあるじゃないですか。でも、その時はまるで


修学旅行に来た女のコの集団みたいに自由にはしゃいでいました。本当にパリはすごくメル


楽しくて夢みたいな時間だったんです。でも、帰った翌日が総選挙の発表の日で・・・みんな


(帰りたくないよね)って言ってもいました)。(帰ったら、いきなり現実なんだね)って」けろっぴ


 やがて、パリ組が日本へと帰国。同時に、2週間にわたって行われた投票期間も終了


した。


 その翌日。アイドル界史上初の「グループ内人気格差」を決める日がやってきた。キティ








*1 チユウ  元は同じチームの小林香菜と一緒に河西が発していた言葉。

        河西本人を表したり、語尾につけたり、その活用方法は無限大。


*2 おしべとめしべと夜の蝶々 大堀恵と河西智美が歌う、キケンな大人の関係を

   描いた曲。二人の姿を見て秋元康がAKB48の大人版、SDN48構想を

   思いついたとか!? 

つづく