研究生制度の誕生。そのはざまで揺れるチームB
開けて2008年。
AKB48が3回目の春を迎えようとする少し前の2月3日。
チームBに一人、佐伯美香という少女が”研究生”から昇格した。
この”研究生”という制度。これは、合格者がチームBのメンバーとなった第3期
オーディション以降にAKB48になった少女たちに与えられた所属名である。
研究生オーディションは、チームBが初日を踏んだ1か月後の2007年5月に第1回
が行われ、そこで合格した少女たちは「4期生」(佐伯は4期生)、第2回(2007年
9月)合格者は「5期生」と呼ばれていた。
彼女たちはAKB48と呼ばれながらも、自分の所属チームがない。そしてチームA、K、
Bの公演に休演者が出た場合にのみ、ステージに立つことが許されるのだ。そのため、
出番が来るかどうかも分からないが、とにかく先輩たちのダンスや歌を覚えた。
研究生たちは、当時、どんな気持ちだったのだろう。5期生・宮崎美穂。
「当時は”ひまわり組”のころで、5期生では私とチカリーナ(近藤莉菜)と小原春香ちゃん
の3人だけがレッスンを受けられたんです。公演が始まって、二人はアンダーで舞台
に何回も立つんです。私は高橋(みなみ)さんのアンダーだったんですけど、ずっと
上がれなくて。同期がステージに立てているのが本当に悔しくて、焦ってました。だから、
一番最初にステージに上がれるって決まった時はうれしかった。あの日のことは忘れられない
です。幕が上がってステージに立ったら、お客さんのすごい声援でで足元から全身に鳥肌
が立ったんですよ。(すごい・・・でも、ここでお客さんに知ってもらえなかったら”上”
に上がれない!)って思って、MCもダンスも精いっぱい頑張りました」
同じく5期生、仁藤萌乃。
「同期のみゃお(宮崎美穂)が合格後に”ひまわり組”のレッスンをしていたんですよ。
でも私は、スタッフさんに全然呼ばれなかったから、(私、合格ナシになったのかな。もう
AKB48になれることはないのかな・・・)って思っていました。私も歌もダンスもヘタだ
ったから、やっとレッスンに参加できるようになってからも(ダンスがヘタな仁藤には
務まらない)って言われていて、いつも落ち込んでいましたね」
同じ研究生仲間と、そして自分自身と戦い”上”を目指す研究生たち。そんな彼女たち
の中から”チーム昇格”を果たしたものが現れた。それは彼女たちの”希望”だった。
一方、そんな研究生を先輩チームのメンバーはどう見ていたのだろうか?
チームBの柏木由紀。
「4期生のオーディションがあるって聞いた時はビックリしました。だってチーム”B”
でAKB48は最後だと思っていたのに、いきなりすぐ下が来るなんて・・・。私たちは一番
最初がチームKさんの(青春ガールズ)公演、次がチームAさんの(会いたかった)公演。
自分たちのオリジナル公演すらないのにって、不安でした。しかも(会いたかった)公演
で、自分にもアンダーが来たんです。その時にスタッフさんに(チームBの代わりは
いくらでもいるんだよ)って言われたんですよ。体が震えましたね」
先輩のチームAとKは、”ひまわり組”として試行錯誤しながらもさらに上を目指して
いた。そして下からは、”夢”と言う名の希望を持ち、チーム昇格を目指す研究生たちに
追い上げられていた。
その間で”末っ子”扱いを受け、先輩の”リバイバル公演”を精いっぱいやっても(代わり
はいくらでもいる)と言われていたチームB
の少女たち。
ある日、そんな彼女たちに待ちわびたプレゼントが届く。
「パジャマドライブ」公演。
それはチームBが劇場デビューしてから約1年。初めて、彼女たちだけのために作られた
セットリストだった。
つづく