俺は江里子さんとデュオを組むことに決まった。理由は、単純に江里子さんの歌に感動した
からだ。まあ、これは本人には恥ずかしくて言えないけど。
江里子さんは、メインボーカルを希望していたが、俺だって歌いたい。口論の末、江里子さんは
しぶしぶ「じゃあ、曲によって変えるってことで」と了承した。江里子さんは最近始めた
ギターより、昔からやってるキーボードのほうが得意らしい。ボーカル2名、ギター、キーボード、
という不思議なデュオとなった。一人が歌っている時、もう一人はコーラスに回った。
最初は有名なアーティストの曲を練習した。コピー曲を何曲かと、江里子さんのオリジナル
曲「あなたへ」を二人で演奏できるようになると、路上で発表してみようと、早速駅前に
向かい準備をした。
二人でするライブは、信じられないくらいお客さんが集まった。腕はまだまだだったけど、
楽器をスピーカにつなぎ、マイクを使って歌ったのが、迫力があってよかったのかもしれない。
それに江里子さんは曲紹介のMCが上手で、一曲終わってもその場にいつづけてくれる
お客さんが多かった。気づくと20人ぐらいの人が立ち止って聞いてくれた。![]()
最期の曲はオリジナルソング「あなたへ」。江里子さんはたっぷりの気持ちを込めて、この
曲を歌った。観客にも、その気持ちが伝わるんだろう。みんなじっと歌声に耳を傾けていた。
中には目じりをぬぐう人もいた。
俺はギターを弾きながら、江里子さんをうらやましいと思った。
俺も自分のメッセージを発信したい。こんな風に思ったのは初めてだった。
「自分の思ってることを、歌に乗せる、それだけね!」
打ち上げで、ほろ酔いになった江里子さんはそう言った。作詞と作曲についてもっと具体的
な方法を聞きたかったのに、江里子さんはちゃんと答えてくれない。「好きな女の子のことでも
書いたらどうだい?」と店主のおっさん。練習後に毎回訪れるこの店もだいぶなじんできた。![]()
歌に乗せるメッセージというのは難しい。俺には江里子さんみたいに思う相手がいない。
相変わらず学校にも行かず、のうのうと過ごしてるので、いいアイディアも思い浮かばない。![]()
「そのうち、歌いたいことが見つかるって。歌詞ができたら私が曲つけてあげてもいいし」
江里子さんは枝豆を食べていた手を、おしぼりで拭き、カバンをごそごそし始めた。「それより
もさー。相談なんだけど」またクリーニングのチラシが出てくるのかと思ったが、今回は
違った。
「ね、今度ライブハウスで歌ってみない?」
受け取ったビラには「ライブ出演者募集」と書いてあった。江里子さんの知り合いのライブ
ハウスで、アコースティック・ライブがあるらしい。答えはもちろん、YESだ。室内で演奏
するのは初めての経験。本格的に動き出した感じもして、俺はがらになくワクワクした。![]()
音楽療法って言葉があるけど、それはほんとに効果があるものだと、最近つくづく思う。![]()
実は、江里子さんとデュオを組んでから、すごく気分のいい日が続いてる。ストリートライブ
も、毎回お客さんが集まって、達成感と充実感で終える日が多かった。![]()
その日の朝はびっくりするほど、すがすがしい気分で”今日なら学校に行けるかも”と
思った。この”行けるかも”というモチベーションが、いつもがレベル”一”なら、今日はレベル![]()
”十”位だ。自分で言うのもなんだけど、学校生活を始めるいいチャンスだと思い、
急いで準備をした。![]()
靴紐を結ぶ俺を、母さんが半分うれしそうに見守っている。そんな痛い
視線もあってか、何とか呪われた玄関はクリアできた。
しかし一歩外に出ると、朝のまぶしい日差しが、俺の心を曇らす。いつものように通学する
近所の学生たちの姿が見える。不安が積もってくる。クラスメイトに何か言われたらどうしよう。
授業についていけるかな・・・?”十”あった気持ちが”五”位まで減った。![]()
「駅まで送っていくよ」
「いいよ、小学生じゃないんだから」と断ったが、母さんは勝手についてきた。![]()
結局一緒に電車にまで乗り込んできた母さんは、学校の最寄りの駅までついてきた。「いってら
っしゃい」改札で母さんが手を振っている。大声出さないでくれよ。恥ずかしいって。他人の
フリして早足で歩いた。・・・でもま、母さんがいたから逃げ出さずに学校まで来れた。結果
オーライとするか。
何気ない感じを装いながら教室に入ると、クラスメイトが一斉に俺のほうを見た。まあ、
これは予想していたことだ。俺は無言で席に着く。何かヒソヒソ話をしている奴もいたが、![]()
それも最初のうちだけだと思い我慢した。
気付いたら肩に力が入っていたので、リラックス、リラックスと自分に暗示をかける。![]()
ホームルームが始まるまで俺は自分の音楽のことを考えた。今度のライブの曲順はどうしよう、やっぱ
オリジナル作りたいな。音楽のことを考えてるとすごく気もちが楽だった。![]()
ホームルームが始まると、担任が俺を見てニコッと笑いかけた。母さんが学校に連絡したん
だろうな。とうっすら思った。
朝の連絡事項の最後に、一人の女子が立ち上がって言った。![]()
「今日放課後、文化祭の衣装班は、残ってください」
・・・文化祭。もうすぐ文化祭があるのか、知らなかった。うちのクラスは何やるんだろう。![]()
教室中が文化祭に向けて活気づいている気がした。蚊帳の外の俺は、意心地が悪かった
。
こういうイベント事は結構好きなほうで、中学のころはクラスをまとめたりしていた。舞台発表、![]()
クラスごとの出店・・・中学の時から高校の文化祭にはあこがれがあった。でももうそれは、俺を
抜きにして始まっている。準備は進められている。なんだか胸の当たりがぐっと痛くなった。![]()
1時間目の授業は英語だった。授業が始まると当たり前のように、テストの問題用紙が配られた。
どうやらこの単語テストは毎回恒例のものらしい。20問の問題、全部に目を通したが、![]()
答えられるものは何もなかった。教室全体に、ペンを走らせる音が響く。その音がすごく
怖かった。見たこともないような英単語を見ていると、頭がくらくらした。![]()
もちろん、授業には全くついていくことができない。理解できなくても授業はどんどん進む。
周りの生徒たちが必死にノートをとっている。俺はノートをまともにとることもできなかった。![]()
先生がお決まりのようなギャグで生徒の笑いを取っていたが、そのギャグの意味も分からない。
クラスから一人取り残された気分だった。
1時間目の授業が終わると、俺は荷物をまとめ静かに教室を出た。もうその場にいることが
出来なかった。焦りと恐怖で俺の頭はいっぱいだった。![]()
校門を出るとやっと緊張から解かれたが、その代わりに悔しい思いが込み上げてくる。
・・・ああ、やっぱり、やっぱり駄目だった。俺は学校にいられなかった。1時間しかいられ
なかった。もう二度と学校には行けないかもしれない。そしたら留年かな。退学かな・・・。
にじんだ涙がこぼれないように時々空を見上げながら、駅までの道を歩いた。![]()
「これでも中学は毎日通学してたんだ。友達もたくさんいたんだ。仲のいい先生もいたんだ。
楽しい高校生活を夢見ていたんだ。・・・なのに叶わなかった。ダメだった。俺にはできなかった。
駅に着いて、改札を通ろうとすると、
「智也?」
と声がした。改札の横にベンチがあった、座っていた母さんが、俺のほうに駆け寄ってきた。
「1時間目は出られたの?よかったわね」
・・・母さん、ずっと待ってたの?いつ帰ってくるかさえわからないのに。
「よく頑張ったわね。ふふふ、せっかくだから何か食べて帰る?」
・・・母さん、優しい言葉なんてかけないでよ・・・。俺ダメだったんだよ。学校、行ったけど、やっぱり駄目だった
んだよ。ごめん。期待に応えられなくて、ごめん」![]()
歯をくいしばって耐えたのに涙は落ちた。最悪だ。高校生にもなって、何泣いてんだ。
俺。みっともない。バカみたい。
母さんは俺をベンチに掛けさせて、背中をさすった。恥ずかしいからやめてくれ、涙が![]()
止まらなくなる。母さんは俺だけに聞こえる小さな声で、ゆっくりしゃべりだした。
「智也、大丈夫。高校なんて行かなくても、別に大丈夫なのよ。」病気になって死ぬわけじゃ
ないんだし。母さんは智也が健康でいてくれたらそれでいいしね。・・・それに高校なんかで将来
は決まらないの。いつでもスタートできるから。・・・学校なんて行かなくても、あんたは、
ちゃんと立派な大人になる。だから大丈夫よ」
こんなにみじめな息子なのに、こんなに出来の悪い息子なのに母さんは励ましてくれる。
ごめん母さん。ありがとう母さん。ごめん、と、ありがとうで、俺の頭の中はいっぱいだ。
俺はその後も学校に行けないまま、不登校が続いた。相変わらずオヤジはうるさいが、
母さんは俺を見守ってくれていた。
数日たって落ち着いた俺は、今の気持ちを歌に乗せたい、と強く思った。江里子さんが、
亡くなった旦那さんを思うように、俺も母さんへの気持ちを表現したかった。
取りとめもなく書きちぎった詩はどこか陳腐な気もしたが、思い切って江里子さんに見せて
みた。江里子さんは、詩の書かれた紙をじっと見つめて何度かうなずくと「ちょいギター
かして」と俺のギターをはじき、メロディを口ずさんだ。
「やばい、音楽の神様が下りてきた」
江里子さんは即興で歌い始める。俺はあわてて携帯のヴォイスメモを使って録音した。こんなに
簡単に曲ができるものなのかと、感心しつつ耳を傾けた。
江里子さんはすごく優しいメロディを口ずさんだ。俺が考えたありきたりな言葉が、すごく
意味のある暖かなメッセージに変わった。命が吹き込まれたって感じ。ほんとにすごい。
そしてあっという間に完成した曲を、俺は何度も練習した。メインボーカルは、もちろん俺。
自分の作った歌詞はどこか照れくさかったが、何回も練習するうちに慣れていった。![]()
アコースティックライブが行われるライブハウスは、とても小さなスペースで、客席は30

![]()
席ほどだ。ほかにも出演者が何組かいて、俺たちの出番は一番最初だった。江里子さんはクリーニング
屋のなじみ客に宣伝したようで、わざわざ来てくれたお客さんに挨拶していた。
俺のことも紹介してくれたが、俺はこういう時、人見知りを発揮してうまく話せない。唯一の
顔見知り、飲み屋の店主おっさんには、少し気が和んだ。
ライブの開始時間が近づくにつれ、緊張が高まる。いつものストリートライブとは空気が![]()
全然違う。今日ここに集まったお客さんは、演奏を聴くためにわざわざ足を運んでくれたのだ。
絶対に満足して帰ってほしい。今日来てよかったね、って言ってほしい。そんな心持ちで歌う
のは初めてだった。
ステージ横の客席で、自分の出番を待っていると、江里子さんが「あ」と何かを見つけた。![]()
「智也のお母さん、来たよ」
・・・え? 入り口を見ると、確かに母さんがいる。慣れない手つきで、受付を済ませている。
な、なんで。呼んでないのに。ってか、知らせてもないのに。なんでライブのこと知ってんの?
なんで来てんの?びっくりして焦っていると、隣で江里子さんがにんまり笑った。
「気づいてなかったと思うけど、智也のお母さん、よく路上ライブに来てたんだよ。いつも
遠くのほうで見ててさ、変な人だなと思って一度声をかけたら「智也の母です」って挨拶されちゃて。
だから今日のライブも知らせておいた」
江里子さん、余計なことしなくていいのに!・・・困った。どうしよう。手が汗でぐっしょり
濡れてきた。・・・俺、歌えるかな?あの曲歌えるかな?今日3番目に歌うことになっている。
「江里子さん、急だけどさ、曲変えちゃダメなの?俺、母さんの前であの曲歌えない」![]()
そう頼むと、江里子さんは「はぁ」と俺をにらんだ。
「何言ってんの?あんたバカじゃないの?あの曲は、お母さんへの曲なんでしょ?智也![]()
からのメッセージなんでしょ?歌って伝えなきゃ意味ないよ!じゃなきゃ、ただの自己満足
じゃない!」
それもそうだけど・・・恥ずかしい気持ちを捨てきれないまま時間となり、俺と江里子さんは
ステージに上がった。前から照らす照明の光がまぶしい。客席と距離が近かったが、照明のおかげで
お客さんの顔が見えなくてよかった。母さんもどこにいるのか見つけられなかった。
1曲目は「いとしのエリー」を歌うことになっている。メインボーカルは江里子さん。俺は
コーラスに回る。演奏が始まると、緊張はだいぶほぐれ、いつもの調子が戻ってきた。
2曲目は江里子さんのオリジナルソング「あなたへ」。ボーカルはもちろん江里子さん。
演奏の前に江里子さんは客席を見渡した。最後列に空席が一つある。江里子さんはその空席
をじっと見つめたかと思うと、悲しそうに微笑んだ。あ、そこにシュージさんがいるのかな
って俺は思った。
静かに曲が始まる。話しかけるような歌い出し。江里子さんの声は、今日すごくきれいだった。![]()
・・・あなたに会いたい・・・。江里子さんは、伝えようとしていた。自分の気持ちを。シュージ
さんに届かせようと必死だった。江里子さんの目には涙がにじんでいる。切なくて、苦しくて、
一緒に演奏していても、熱いものが込み上げてきた。![]()
演奏を終えると、大きな拍手が会場に響いた。
次は・・・俺の番だ。江里子さんは俺の顔をじっと見て、軽くうなずいた。・・・俺も、俺も
ちゃんと伝えなくちゃ。母さんに。気持ちを。
ピアノ前奏に合わせてギターを弾く。そして歌が始まった。
歌いながら、俺は学校に行けなくなったころを思い出した。不登校になった俺、でも母さんは
家という居場所を俺に与えてくれた。やり場ない不安でいっぱいで、母さんにつらく当たった
事もあった。それでも母さんは俺を励ましてくれた。家にずっと引きこもってた時も、
こっそりとライブ活動を始めたときも、ずっと見守っててくれたんだ。味方でいてくれたんだ。
温かい目で見ていてくれたんだ。・・・思い出す母さんの顔は、いつも優しい笑顔だ。![]()
ずっと言いたかった感謝の言葉を俺は歌に乗せた。ありがとうの気持ちを叫んだ。
歌が終わると、ステージを照らす照明が少し暗くなって、客席の様子がうっすらと見えた。
客席の隅に、母さんが座っている。手で顔を覆い隠してるけど、母さんだってすぐに
わかった。みんなが拍手をする中、母さんはずっと下を向いて震えていた。
なんだよ、泣かないでよ。俺の歌、ちゃんと聞いてくれた?…で、気づいたら俺もポロポロ
泣いていた。ステージの上なのに、恥ずかしい。でも涙が止まらない。![]()
・・・母さん、母さん、本当にこんな出来の悪い息子でごめん。よわっちい男になってごめん。
変わりたいんだ、変わりたい。母さん言ったよね、「いつでもスタートできるから」って。俺
は今すぐにでもスタートしたいと思ってる。走り出して母さんを安心させたいと思ってる。
自慢の息子になりたい。立派な大人になりたい。母さんの誇りになりたい。![]()
だから・・・お願い。ずっと見ていて。これからも見守ってて、母さん・・・
拍手が鳴り響く中、ステージで俺は、涙をぬぐって大きく頭を下げた。
顔を上げると、母さんは優しい笑顔で俺に拍手をくれていた。![]()
おわり
このSTORYは、リンダブックス編集部 丸十直子 著 99のなみだ 心 よりお借りしました。
