


田舎を歩き回って骨董の掘り出し物などを見つけ、安く買いたたいて江戸の好事家に高く
売りつけるという商売が果師(はたし)。
一人の果師が、とある川岸の茶店で休んでいた。じいさん一人でやっているのんびりとした
茶店だ。
茶を飲みながらなにげなくあたりを見ていると、一枚の皿が目に入った。商売がら、果師の
視線がぴたりと吸いついた。なんとこれが江戸でもなかなかお目にかかれない高麗の梅鉢という
高価な逸品。たった一枚でも三百両はくだらない皿だ。
どうしてこんな茶店にと思ってよく見ると、さらに飯粒が付いていてそばで猫が
「ウンニュアー」とのびをしている。
「ははん」と果師は喜んだ。あの猫に皿で飯をやってるに違いない。つまりじいさんは皿の
価値を知らない。こいつは大もうけできるぞ。
ちょいと考えた果師。じいさんが近くに来たところを見計らって、ひょいと猫を抱き上げる。
いかにも猫が可愛くて仕方がないという様子で懐へ入れ、この猫をくれないかと持ちかけた。
猫のついでにエサ用の皿もと言う作戦だ。
じいさんはニコニコしながらもやんわりと断った。猫は17、18匹飼っているがどれも可愛い。
特に婆さんに死なれてからは、家族同様で毎晩、家に連れて帰っている。
しかし、果師もそれぐらいでは引き下がらない。何しろ三百両の皿が手に入るかどうかの
瀬戸際だ。
「ただでくれとは言わないよ」
懐から小判を三枚、鰹節代に置いていこうと、じいさんに手渡した。猫一匹に三両はとんでも
ない大金。三両なら文句はないと見え、じいさんは首を縦に振った。
ここまで来たらこっちのもの。内心ほくそ笑んだ果師はさりげない調子で、
「猫だっていつも食べなれてた皿の方がいいだろうから、この皿もついでにもらうよ」
と例の皿にひょいと手を出した。
ところがじいさん、慌てた様子で押しとどめ、皿だけは絶対だめだと譲らない。
果師はガックリ。もう猫なんかどうでもよくなり邪険に扱うと、「ギャーツ」と逆に猫に
ひっかかれたりして弱り目にたたり目だ。
「どうしてそんな高い皿で飯をやってるんだ」
「この皿は高麗の梅鉢と言う高価な品。家に置いて取られるといけませんので」
( 「こうすると時々猫が三両で売れます」と言う演出もある )
解説 落語の世界には道具の価値がよくわかっていない人たちがよく登場する。「はてなの茶碗」という噺では、目利き(鑑定家)が茶店のお湯飲み茶わんに思わず「はてな?」と首をかしげるだけで三百両の値段が付くし、「火焔太鼓」はプロの道具屋なのに、太鼓がなぜそんなに高く売れるのかわからない。この噺ではじいさんも果師も、皿の本当の価値を知っている。だからサゲとしては「猫が売れる」の方が優れている。
この話は、PHP文庫 立川志の輔 古典落語100席 よりお借りしました。