フランス2月革命が発生すると、ヨーロッパ各地で民族主義・自由主義の運動が展開されていった。1848~49年に起きたこれらの運動を「【】諸国民の春」と呼ぶ。
【 ウィーン】では【3月革命】がおこり、宰相【メッテルニヒ】が失脚した。さらにドイツ各地から自由主義者の代表である学生・弁護士・学者といった知識人たちがフランクフルトに集まって【フランクフルト国民議会】を開き,【ドイツの統一】と【憲法制定】を討議した。ここではドイツ統一の方法を巡って対立が見られたものの、オーストリアを排除して、プロイセン王国を中心としたドイツ帝国建設が決定した。これを【小ドイツ主義】という。しかし、プロイセン国王【フリードリヒ=ヴィルヘルム4】世がドイツ帝冠を拒否したため、この動きは失敗に終わっている。
ウィーン【3月革命】で混乱するオーストリア・ハプスブルク家の支配下に置かれていた東欧でも独立を求める蜂起がおこった。まず、チェコでは【プラハ】では【パラツキー】が指導する「スラブ民族会議」を樹立され、【チェック】人の民族運動も展開された。また【ハンガリー】でも【コシュート】が指導する【マジャール】人の独立運動(ハンガリー共和国樹立)も起きている。ロシアの1州となり、ニコライ1世の支配下に置かれたポーランドでは、南部の都市クラクフで【クラクフ】革命政権が樹立された。しかし、これらの運動はいずれも弾圧されることになった。
イタリアにおいても同様で,【1849】年に【マッツィーニ】が率いる「【青年イタリア党】」によって樹立された【ローマ共和国】も,教皇【ピウス9世】と結んだ【ルイ=ナポレオン】の出兵によって倒された。青年イタリア党は【ナポリ】を中心とした大衆参加型の政党であった。