ウィーン体制に反対する勢力の第2波は,【1830】年のフランスの【七月革命】から始まった。これは、パリの労働者とブルジョアジーが、【復活ブルボン朝】2人目の国王【シャルル10世】が展開した【亡命貴族の復権】に対する反対からおきた革命である。ピューリタン革命の後復活したジェームズ2世とチャールズ2世の下、革命で活躍した人々が抑圧された歴史を人々は忘れたわけではなかったのである。
 「【栄光の3日間】」と呼ばれるパリのバリケード戦を指導したのは、あの【ラファイエット】である。この結果、【オルレアン】家出身で自由主義者の【ルイ=フィリップ】が国王に選出された。この7月王政ではブルジョワジーが政権を担当し、自分たちに都合の良い法律を制定したため、【1830】年代にフランスでも産業革命が完成した。
また,この7月革命の影響によりオランダから【ベルギー】が王国として【ロンドン】会議で独立し。た一方,ポーランドでもの【ワルシャワ蜂起】と呼ばれる独立運動が展開された。ワルシャワ蜂起はロシア軍の介入により失敗に終わり、【ポーランド立憲君主国】はロシアの1州に格下げされ、ロシアは地図上から消滅した。
また,先進国のイギリスでは,この流れを受けて,【1832】年に【第1回選挙法改正】が実施され、これによりブルジョワジーの議会運営が始まった。