17世紀後半になると、西欧では「絶対王政」に対する疑念が生まれてきました。特権階級に支えられ、非常に強い権力を持った国王が行う政治に行き詰まりが見えてきたからです。
その最初の例がイギリスでした。17世紀の中頃、すなわち【1642~49】年に起きた【ピューリタン革命】は、国王が政治を独り占めするのではなく、議会で話し合って政治をするほうが、よりよい政治が行われるという考え方が勝利した政治的変化でした。また、【1688】年の【名誉革命】では、誤った政治に対して国民は抵抗する権利を持つのだという主張が勝利しました。この権利のことを「【抵抗権】」と呼び、イギリスの思想家【ロック】がその正当性を主張しています。
また、国王がすべての権限を持つよりも、その権限を分散して牽制しあったほうが、より良い社会になるという考え方も提示され始めました。これは、国王が行政権・立法権・司法権を独り占めすべきではなく、この三権を分けて置くべきだという「【三権分立】」の思想です。フランス人の【モンテスキュー】が主張したことで知られます。モンテスキューが主著である『【】法の精神を』を書き上げた時代のフランスは、【ブルボン】朝の全盛期【ルイ15世】が生きた時代ですが、その一方で、イギリスとの【第二次英仏百年戦争】に敗れ、【コルベール主義】が行き詰まりを見せていました。財政難が表面化しているのに国王の贅沢な暮らしはいっこうにに改められない、そんの雰囲気であったようです。
このように、18世紀になると、絶対王政の行き詰まりに直面したイギリスやフランスで、今で言う「民主主義」の芽が育ち始めていたわけです。当時としては非常に新しく画期的な政治の仕方や経済の仕組みを提示した考え方を【啓蒙思想】といい、モンテスキューやロックに代表される思想家たちを啓蒙思想家といいます。