清朝政府は、【1905】年【科挙を廃止】し、【1908】年【憲法大綱】を制定して憲法を起草、さらに1916年に【国会開設】が公約した。また【1911】年には【軍機処】を廃止している。
一方、洋務運動期から徐々に成長してきた民族資本家は、列強から鉄道を買い戻す運動を進めていた。これを【利権回復運動】という。しかし、清朝政府は【1911】年5月に近代化による財政難打開のため、彼らが買い戻していた【粤漢鉄道】や【川漢鉄道】を列強に売り渡す目的で、「【鉄道国有化宣言】」を出した。
これに激怒した民族資本家を中心となって【1911】年【四川暴動】を起こし、さらに武昌総督【蔡元洪】が革命側に加わったことで、大規模な革命運動に発展した。これを【武昌起義】という。この辛亥革命はさらに中国各地の軍団も呼応して拡大したが、清朝軍を掌握している【袁世凱】は、清朝政府による鎮圧命令を無視して【宣統帝溥儀】に退位を迫ったため清朝は滅亡した。【1912】年1月【孫文】を【臨時大総統】とする【中華民国】の成立が宣言され、【南京】が首都とされた。
このとき、孫文と袁世凱は裏取引を行っていた。袁世凱が革命派に加担して宣統帝に退位を迫るかわりに、孫文から臨時大総統の地位を譲り受けるというもの。そのさい、袁世凱の本拠地である北京には遷都せず、革命勢力が多い南京を首都とすることが約束された。