1980年にポーランドの労働組合「【自主管理労組連帯】」も新しい社会主義の建設を目指した。プラハの春との違いは、ポーランド共産党はオイル・ショック以来の経済危機の責任を回避し、自力再生を怠ったことに、民衆が反旗して連帯を中心に結集した点にある。ポーランド民衆の結集には、カトリック教会の協力があったこともポーランドの特徴といえる。【ワレサ】が率いた連帯のストライキは全ポーランドに波及したもの、1981年【ヤルゼルスキ】軍事政権による弾圧で沈静化していった。