【1935】年第【7】回コミンテル大会で【人民戦線戦術】がとられた。この結果、【フランス】と【スペイン】で人民戦線内閣が【1936】年に成立。中国でも【1937】年に【第2次国共合作】が成立した。
 戦争が開始すると、1940年5月にドイツに占領されたフランスでは【レジスタンス】運動が展開された。【ド・ゴール】は【ロンドン】に亡命し「【自由フランス】」を組織した。また、【1941】年3月のバルカン戦の開始に前後して、【ティトーが】指揮する【パルチザン】闘争が行われた。これユーゴ国王の枢軸国側への参戦に反発した民衆のゲリラ的軍事行動で、ドイツ軍を悩まし、45年にはソ連軍による解放をまたずに、ユーゴはティトーによって独力でドイツ軍を排除した。
 【1941】年6月から【独ソ戦争】が開始。スターリンは国防の危機を「【大祖国戦争】」と位置づけて乗り切ろうとした。しかし、独ソ戦争当初のソ連軍の敗退は、1937年の【大粛清】が原因している。これはスターリンが軍の有力者を中心に処刑もしくはシベリア流刑したため、ソ連軍が弱体化し指揮系統に混乱があったためである。ヒトラーはレニングラード・モスクワともに陥落させることができず、名誉回復のためにスターリンの名が付いた都市【スターリングラード】を攻撃した。ソ連は多大な犠牲を払いながらよくこれに耐え、【第2戦線】の結成をまたずに独ソ戦争を勝利した。
 一方、対日運動は複雑な様相を呈した。日本をアジアの解放者ととらえるグループと日本の侵略を機に宗主国からの独立を目指すグループがあった。ヴェトナムでは【ホー・チ・ミン】が【ヴェトナム独立同盟】(【ヴェトミン】)を組織。日本の統治を利用して【日本】からの独立を宣言した。フィリピンでは【フクバラハップ】(フク団)が【タルク】によって結成されたが、共産党系の組織であったため、46年に非合法化されている。また、ビルマでは、現在反政府活動を展開しているアウン・サン・スーチー女史の父【アウン・サン】が「【反ファシスト人民自由連盟】」を組織し、抗日闘争を展開した。日本の敗戦後 ソ連軍とともに帰国し、ソ連の指導下で独裁体制を樹立している。
 一方、朝鮮では【キムイルソン】(金日成)が「朝鮮人民革命軍」を率いて抗日戦を行ったが、終戦時にはソ連軍の指揮下に入っていた。合衆国で抗日闘争を行っていた【李承晩】は「朝鮮委員会」を指導していた。日本の敗戦とともに合衆国から帰国。【48】年の大韓民国成立とともに大統領に就任した。