20世紀初頭から資本主義の行き詰まりが目につくようになりました。たとえばどうしようもない程の貧富の差が社会の雰囲気をどんよりさせていたわけです。さらに1929年の大恐慌は資本主義の行き詰まりを一層際立たせました。ここでいう資本主義とは「自由主義・市場経済」です。自由に競争することが保証されていることを善とし、市場(マーケット)が経済をコントロールするのであって、政府などは経済に介入すべきではないと考える資本主義です。大恐慌による大量の失業者の発生と大量の倒産・工場の閉鎖を目の前にして、このまま市場に経済を、自分たちの暮らしを任せていていいのか?と当時の人々は思い始またわけです。

20世紀初頭の資本主義の問題を解決する方法として、3つの政治体制が生まれました。それは社会主義・修正資本主義・全体主義です。社会主義にはマルクス主義と修正主義(社会民主主義)とがありますが、両者とも資本主義を否定して、社会主義体制を樹立することを目指しました。この社会主義は市場経済に代わって計画経済を採用し、経済を市場に任せることはしません。1928年から始まったソ連の第1次5ヵ年計画は大成功を収めていました。

次に修正資本主義は、完全に経済を市場に任せきるのではなく、一定程度、政府が経済に介入することで、大恐慌を乗り切ろうとしました。この考え方はイギリスのケインズが提唱し、合衆国のFローズベルト大統領によるニュー・ディール政策で採用されました。この修正資本主義は一般に「大きな政府」になり、大規模な予算を編成して税金を使って企業に仕事を作るわけです。例えば、ダムの建設、空港の建設、道路の建設などの土木事業に加え、学校・病院・公共施設の建設なども行います。このような事業によって雇用を産み出し、不況を脱することができると考えます。

全体主義の基本姿勢は20世紀に入ってから急速に勢力を拡大しつつある社会主義を抑えることです。全体主義は社会主義のように資本主義そのものを否定しているわけではありません。資本主義がもつ「自由に競争する(自由放任)」部分を否定しています。全体主義では一人の独裁者が支配する一党独裁体制の下に国家のすべての機能(企業・行政組織・軍隊・文化・教育など)が組織化する。したがって資本主義の自由な経済活動(各企業がおもいのままに生産・販売すること)は否定され、国家(ナチスなど)が指定する経済活動のみに経済が集約されていく。つまりヒトラーが考える政策のみに基づいて各企業は生産していく。例えばフォルクスワーゲンは誰もが手にすることができる大衆車を生産する自動車会社として存在し、これは国民に生活の満足感を提供しようとしたナチス政権の意向に従った会社であった。ひとつの政治権力の下に経済活動を置くことで経済の無駄は排除できる利点はあるが、人々が何を欲しいと思うか?について国家が決定できるのだろうか?

ソ連の社会主義は国際的組織としてコミンテルンを持っており、コミンテルンは各国の共産党を指導していた。つまり社会主義は各国の労働者階級を支援しているので、社会主義が拡大するということはドイツなど19世紀になって統一国家となった国々にとっては、国家の分断をすすめる勢力と言える。ドイツ(ワイマール共和国)が危機的状況にあるとき、労働者階級がコミンテルンと結びついて中間層・資本家・軍部・地主といった国内組織と対立していくことは、中間層以上の人々にとって好ましいとは考えられなかった。

1930年代のドイツは多くの問題を抱えていた。とくに失業問題は重大だったが、全体主義(ここではナチス)はこれらすべての問題を外部に原因があると呼びかけた。すなわち「反ヴェルサイユ体制」と「反ユダヤ主義」である。この2つがすべての問題の根源だと主張することで、ドイツ人に自信を取り戻させ、その言葉はドイツ人にとって心地よかった。ナチスは「反ヴェルサイユ体制」と「反ユダヤ主義」を標榜することで、強烈なナショナリズムすなわちゲルマン民族の優越性を強調し、ドイツの一体感・連帯感や画一性を生み出していった。

また全体主義は反民主主義・反議会主義を掲げる。国家権力の下にすべての国民生活を置く全体主義の考え方では、人々が自由に政治的希望を示すことはできない。また、当時、議会の選挙を通じて社会主義勢力が拡大していたので、全体主義はそのような社会主義の拡大を認める議会主義を容認しなかったと言える。

個人の考えや好みといったものは全体主義では否定されてしまう。教育も画一的な内容を、画一的に指導され、子供たちを一つの方向(ナチスを礼賛する思想)に導く。このような画一的なものの考え方を人々が受け入れた背景には、20世紀から始まった「大量生産・大量消費」が大きく影響していると考えられる。つまり、国民の多くが同じ生活用品を購入し、使用していくなかで、他の人と同じ生活様式・価値観を持つようになった。大量生産・大量消費社会が没個性の時代を招き、画一的なものの考え方を受け入れる背景になったと考えられる。さらに大恐慌の発生で大量の失業者が出た結果、それまであった社会の一体感(おマジ程度の暮らしをしているという安心感)が崩れていき、この先どうなるのか?隣人は自分だけよければいいと考えているのではないか?とかいうような不安感・不信感が社会にはびこってきていた。そのようなとき、ナチスはゲルマン人の優越性を強調するナショナリズムを標榜して、一つの強大な国家権力により画一化された社会を建設することを呼びかけた。したがってこのような全体主義が支配する社会では、個人が個人として生きる権利すなわち「人権」は無視され、組織化され画一化された社会の一員として生きる「人間」が生み出されていったのである。しかし最後に、当時の人々はそれを望み、その状況に誇りすら持っていたのである。