【永楽帝】は【ムスリム】(イスラム教徒)の【鄭和】に命じて南海遠征を行いました。鄭和は現在のシンガポール付近の【マラッカ王国】を基地として建設し、遠く【アフリカ東海岸】の【マリンディ】にまで遠征部隊を送っています。また、鄭和はイスラム教徒として【メッカ】巡礼のために代理人を派遣しています。マラッカ王国は【1511】年【ポルトガル】に征服されましたが、約100年間【東南アジア最初のイスラム教国】として貿易で繁栄しました。
 全部で【7】回も行われた鄭和の南海遠征の特徴は、【朝貢貿易】を東南アジア諸国に要求するという方法です。この場合の朝貢貿易とは明を主君として臣下の礼をとることで豊かな明と貿易をするという貿易体制です。
 ヴェトナムでは、永楽帝がモンゴルを撃退した【陳朝】を滅ぼし、直接支配をしています。しかし、永楽帝が亡くなると、【黎利】が独立をはたして【黎朝大越】を建国しました。
 一方、永楽帝はモンゴル高原の【北元】を自ら軍勢を率いて【5】回も攻撃しています。皇帝自ら軍勢を率いて遠征することを親征といいます。モンゴル高原に親征した皇帝は長い中国の歴史の中でも永楽帝だけです。